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昭和時代⑥ 満州国の成立と日中戦争までの背景

昭和時代

満州事変は関東軍の思い通りに進み、1932年に満州国建国となり、表向きはラストエンペラー、溥儀(ふぎ)を執政とする「独立国」とされていましたが・・・

その内実は関東軍の支援でつくられ、
関東軍の支配する政権でした。

犬養毅内閣暗殺の後、海軍大将の「斉藤実」(さいとうまこと)を首相とする斉藤内閣が成立。
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斉藤は海軍の中でも穏健派だったんですが、この内閣が最初にしたのが
「満州国」の承認。犬養は認めなかったから殺されちゃったんですよね。
「満州議定書」の調印です。

しかし、この満州国について国際連盟が異議を唱え、イギリスのリットンを団長とする調査団を満州に派遣します。
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結果、「満州国はあきらかに日本があやつる傀儡政権である」というのが国際連盟の解釈でした。

そして1932年2月の国際連盟臨時総会で、日本に対し満州国を撤回するよう求める勧告案が42対1の圧倒的多数で採択。つまり日本以外はみな賛成です。
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この採択を受け、日本代表の松岡洋右(ようすけ)は総会の場から退場し、ついで日本政府は国際連盟からの脱退を正式に通告します。国際社会からの孤立を選んだわけです。

さて、1933年5月、中国との間に「塘沽(タンクー)停戦協定」を結び、満州事変はとりあえず収束します。

しかし、関東軍はそのまま満州に駐留しつづけます。

満州事変の後、日本と中国はずーーーっと仲が悪かったと思っている人が多いのですが、そうではありません。いったんは手を結ぶんです。

なぜ中国との間で停戦協定ができたのでしょうか。

じつは中国国内に蒋介石の国民政府と、毛沢東の中国共産党があって対立していたのです。
当初は協力関係にあった時期もあったんですが、この頃になると対立がはげしくなっていました。
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そこで国民政府は日本と手を組み、日本の軍事力をバックに共産党勢力と戦おうとしたんですね。実際当時の日本は「反共」という意識がありましたから。

それとまた国民政府は「防共自治政府」を1935年に満州と中国の国境沿いに非武装地帯を作ってたんですね。共産党を阻止するための非武装地帯。

蒋介石の国民政府にとっても日本にとっても、お互いを安定させるため手を組んだ時期もあったんです。今後日中戦争の説明に入りますが、これも頭にいれておいてください。