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昭和時代⑤ 満州事変⇒五・一五事件、そして戦争への道

満州事変後、軍部内閣にしようというクーデターを乗り越えられず、退任した第二次若槻内閣。その後はみなさんよーくご存知の「犬養毅」内閣が就任します。
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1931年(昭和6年)12月13日から1932年(昭和7年)5月26日、
意外と短命やったんですね。ってのも「五・一五」事件で暗殺されていますから002.gif

あれ?5月26日ってもう亡くなってはるやん?と思いますが、高橋是清ちゃんが臨時で内閣の座についたので、内閣としてはまだあと10日ばかり続いたわけです。

さて、1931年12月に就任してまーーず最初に行ったことは、経済を混乱させた「金本位制」を再度やめて「金輸出再禁止」をしたことでありました。このときの大蔵大臣は
高橋是清ちゃんでした。
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そーすると、また円安になるわけでして、さらに世界恐慌からヨーロッパの国々が脱したころ。世界経済の景気が上向きになっていたんです。

そんなときに日本は円安の影響で「全品半額セール」状態。売れに売れて輸出量が飛躍的に伸び、日本は空前の好景気に。

安倍首相や麻生大臣が「高橋是清が金融政策のお手本」って言ってたのはそーゆーことね。
アホ大臣のせいで取り付け騒ぎになった金融恐慌をモラトリアムでなんとかしたのもこの人だったから。

このような中、重化学工業がめざましく発展。明治時代の財閥とはべつに「日産コンツェルン」「日窒コンツェルン」など新興財閥も誕生・・するんですが、またもや軍部と結びついて満州やら朝鮮やらに進出していきました。

犬養毅は満州に対してどんな考えをもっていたの?
「満州事変は起こってしまったからしょうがないけれど、満州国なんて不承認や!」という立場をとっていたんですね。

この頃になると政党政治に対する期待が薄れ、軍部や右翼の動きを抑えられずに「退陣」っていうケースが続いていますよね。

「政党政治のままやったら、日本の軍事行動が消極的になってしまう政んとちゃうか」と空気が強まり、3月事件、10月事件が起こったんですが、

1932年の犬養首相のときにも「血盟団事件」というテロが起こります。
政党政治家や財界の大物を狙った事件。
前大蔵大臣の井上準之助や三井合名会社の理事長、団琢磨が暗殺されました。

要するに、政党政治における経済政策に対する反発と、それと癒着している財閥に対する反発です。

そして満州国の建国に異を唱えた犬養首相もついに、海軍の青年将校によって暗殺されてしまいます。
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総理大臣官邸に乱入し、内閣総理大臣犬養毅を殺害って大事件だよ。
これが有名な「話せばわかる」とする犬養を「問答無用」と射殺した事件やね。

ただね長い不況の中、ようやくそれを脱するも、治安は悪いし人々の心はすさんでいたわけ。この武器を持った軍人による無抵抗の老人への凶行をも世論は賛美するようになってたわけだ。

これをもって長い間積み重ねられで出来上がった「議会政治」つまり
「憲政の常道」は終わり、時代は戦争へと突き進んでいくのです・・・。