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「山椒の実のような悪意」京女のいけず

また、京都人に誤解が出てくるかもしれないが、ちょっと前にピリリと小さいけれど突き刺さった言葉について、「これは『いけず』なんやろうか」と思ったのでメモ。

「それは、よそさんですわ」

これは、以前ある神社の行事にいったとき、その行事が前日で終わっていることをその場で知った。そして、近隣の神社でも同様の行事をやっていることを知っていたので、そちらの神社ではまだ今日もやっていますか、と年配の巫女さん(50歳くらい?)に聞いたときの言葉。

神社ってなんとなく公共性があるから、横のつながりがあると思ったので聞いたけれど、そうでもないらしい。また、年配の巫女さんは珍しいので、より知ってそうな雰囲気も醸し出していたのであえて聞いたのだ。

しかし、言い方がいかにも「うちと関係があると思ったら大間違い、自分で調べてから来なさい」と短い言葉にこめられていて、その日は何度もその言葉が脳裏に浮かんだ。

「そうですか。すみません」とだけ言って去ったが、「ごもっともです。失礼しました」とより慇懃に言った方が溜飲が下がるのではないかと少し後悔したりもした。

よく京都人は「いけず」というが、あまり男性に対して「いけず」という言葉が使われることはない。「いけず」というのは「女性的」なのだろうか。言葉の裏や言い方に婉曲的に小さな「悪意」というか「戒め」があるのだ。

ただ、「いけず」な女性の方が、より女性的であるがため、物事に対して「ものしり」で頼りになることが多いのも事実だ。

私はたぶん、「いけず」ではないし、女性としてこう「あるべき」というような、物事の道理もわかっていない方だ。

ただし、それなりの年齢になった分、これまで鈍感で気付かなかった「山椒」のようなピリリとしたほんの、ちっさーい「悪意」にも気づくようになってしまった。
「山椒の実のような悪意」京女のいけず_c0190486_21234777.jpg

京都人は「ちりめん山椒」が好きで、たまに知り合いから両親が「たいたん」(炊いたもの)を頂いてくることがある。ちりめんはホロホロと美味しいが山椒がある分、ピリっとする。

同じ女性なので変に敏感になった分、精神的なダメージも強いが、それを最小限にして、角を立てず「いけず」な相手に感謝する策も少しずつ身につけていくのが大人の女性だと言い聞かせている。「いけず」の人は存外「笑顔」に弱いようである。

それも「いけず」な笑顔にならないようにしないと、「いけず」の連鎖になってしまう・・
「山椒の実のような悪意」京女のいけず_c0190486_2284733.jpg

by hito2653 | 2013-09-23 21:24 | 雑感。