橋下氏の「慰安婦」発言に批難が集中する理由② -ビックダディー高視聴率の真相-

橋下氏の「慰安婦発言」になぜ批判が集中するかについてもうひとつ。
ここでは、いわゆる「歴史認識」の問題ではなく、あくまで「社会学的見地」であることをご理解頂きたい。

みなさん、ご存知ビックダディーという番組、高視聴率ということでも有名だ。(私は見たことないが)そればかりか、夫婦そろって本まで出して、それも「そこそこ」売れているらしい・・。

それなのに、あの夫婦に共感を寄せる人はほとんどいない。(言い過ぎかもしれないが)まるで不潔なものを見るかのように、子ども作りすぎ!と視聴者は批難する。・・・・・・・・じゃあなぜ見るのか。

テレビのコメンテーターが言っていて納得したのが、
「ああはなりたくない」と思い、自分はまだ「まとも」である、と納得し、安心するために見ている人が多いとのことである。

つまり、前回の「市民的自己」の論理のなかの「異常者」とみなして、自分はそうではない、とみなして安心するわけである。

橋下氏も、ビックダディーと同じように、「異常者」とみなされ、注目を浴び集中砲火の批難を受けているわけだ。

「他人の足を踏んでも何食わぬ顔で通り過ぎる男に、誰でも、―たとえ何の痛みも感じなくても―猛烈な怒りを覚える」と前回のブログに書いたが、
橋下氏に寄せられる怒りも、「足を踏んでも謝らないやつ」に対する怒りに似ている。
市民社会は、「こういうときはこうするべき」というものを明確に持っている。

例えば、閉まりかけのエレベーターに入る際、中にいる人が「開」ボタンを押してくれなかったがため、エレベーターに挟まれてしまったとき、なんで「開」を押してくれないんだ!と猛烈に腹が立つ。
夕食を後輩におごってあげて、お礼を言われなかったとき、―それがたとえ吉野家の牛丼であっても―腹が立つ。それは、「こうしてくれるだろう」という期待感の裏返しでもある。

そのこと自体に腹が立つ、というより、そうするのが「まとも」であり、「まとも」であることの期待を裏切られたからである。

とりわけ「性」に関してはセンシティブな問題で、「男の欲情による『性』の話を公の場でするべきでない」、という常識をもっている人が多いため、
「まともでない」と感じ、歴史にあまり詳しくない人まで「信じられない」、と怒りを覚えるわけだ。

だから、この場になって歴史の知識を披露しながら論理的に説明しても手遅れ。
また、期待感が強かっただけに、「残念感」も大きい。このまま党はどんどん失速していくのだろうか。

≪補足≫
あの後、橋下氏が「マスコミに大誤報をやられた」と憤っておりましたが、確かにyou-tubeを見ると、本旨ではないところを悪意を持って抜粋し、歪曲して報道されていた、という点も否めません。

しかし。。「口は災いの元」

こうしたリスクは、政治家として当然に織り込み済みなのでは。

よって、やはり「軽はずみな発言」が政治生命を奪う、という論理に収斂していくのだと思います。
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by hito2653 | 2013-05-17 00:08 | 雑感。