「他人の煩悩を自分の煩悩と錯覚する」-手に入れたとたんゴミになる―

「他人の煩悩を自分の煩悩と錯覚する」
-手に入れたとたんゴミになる―

香山本と苫米地本に似たようなことが書いてあったので、またご紹介。066.gif
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「他人の煩悩を自分の煩悩と錯覚する」
人間は、自らの欲望を満たしてやることで成長する。
これは真理だと思います。
ところが、現実の世の中を眺めてみると、欲しいものを得たその結果に満足せず、成長もせず、不満と不安にさいなまれている人がなんと多いことでしょうか。

自分で重要度を高めているものが、自分の中にたくさんあり、しかもそれをひとつひとつ満たしているにもかかわらず、幸福になることもなく、目覚めもしないのです。

自分の煩悩でないものを誰かによって脳に刷り込まれ、それがさも自分の煩悩であるかのように勘違いさせられているからです。

他人の煩悩が刷り込まれているもっとも分かりやすい例が、テレビのCMです。

クルマのCMを例にとると、そこは一定の制作上の法則を見てとることができます。

CMでは車の形状をかっこよく見せたり、高性能をアピールしたりするのは当然ですが、その映像にはクルマとは関係のないいくつかの仕掛けが必ずくっついてきます。
たとえば、運転席の前に広がる美しい景色。助手席からこちらに、にこやかな笑顔を向ける美女。そして後部座席には立派なブランド犬のペット。

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視聴者はまるでそのクルマにのれば、そういう世界が手に入るかのように感じられますが、それが、新型車のCMのオーソドックスな訴求方法となっています。005.gif

現実には、視聴者が走るドライブコースには見事な景色はないし、美人のカミさんや恋人がいるわけでもないし、ブランド犬に釣り合う社会的地位もありません。048.gif

すると、何気なく新型車のCMを見ている視聴者は知らず知らずのうちに自分の現状に対して不満を募らせます。033.gif

「美人の彼女が欲しいなあ」「社会的地位が欲しい」
そのような「煩悩」はいつのまにか、CMをつくった企業や製作者の意図によって、新しいクルマがほしい、という煩悩にすり替えられてしまいます。

これが、他人の煩悩が刷り込まれる仕組みです。

しかし、他人の煩悩とはあなたの自我そのものであり、それがあなたを不幸にしているのです。
なぜ不幸にしているかといえば、自分で重要だと思っていることは実は他人の煩悩であり、そうそう手に入らないものだからです。
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香山リカの本でも、このように書いていました。

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精神分析学者の「ジャックラカン」は
「(自分の)無意識とは他者の欲望である」と言ったが、心の奥の奥、無意識が抱いている夢の多くは自分の意識ではなく他人の欲望を自分の欲望と信じているものが大半である。深層心理の中にある夢の中には「不老不死」などそもそも実現が不可能なものもあり、中には実現しない方が自分や回りのためによい、というものもある。
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このように、精神医学的には、夢は手放しに礼賛するべきものではなく、かなり厄介な存在だ。だから「私は自分の本当の夢を実現できるような仕事をしたいんです」などと安易に言うのは、精神科医から見たらとても危なっかしいことだ。

「これだ」と確信していたはずでも、人間の気持ちなど体調が悪かったり、ふと他人を見たりするだけで、簡単に変わってしまう。
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また、以前この苫米地本で、「煩悩」について芥川龍之介の「芋粥」という小説を紹介していましたね。
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たとえば、私が「煩悩」で思い出すのは芥川龍之介の「芋粥」という短編小説です。

子どものころから「赤鼻」と呼び捨てにされる平安時代のだらしがない侍が、当時のご馳走とされた芋粥をはらいっぱい食べたいと思います。
それを聞いた藤原利仁という武将が、望みをかなえてやろうということになりました。
招かれた先で、その侍の前に芋粥がこれでもかとばかりに提供されます。
その侍は、やがて芋粥を食べることが苦痛となり、ついに「食べなくてもいい」という許しが出ると心から安堵します。

それは心ゆくまで芋粥を食べたいという夢を失うことと引き換えに許された安堵である、という残酷な小説です。手に入れたと思ったとたん、その喜びや満足感は泡のように散ってしまう。「煩悩」の本質とはかなさをよく表しています。
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(以下 私の感想)016.gif
よく、夢をもつのはいいことだ、と色々な本に書いていますが、「夢」なんてものは、流動的であぶなっかしいものだと思いました。香山リカは、中村うさぎの小説を引用して、「手に入れたとたんゴミになる」とも書いています。これは苫米地氏の言う、芥川龍之介の「芋粥」のテーマでもあります。

それどころか、「夢」は自分が夢と信じて疑わなかったことが、自分ではなく「他人の煩悩」である場合がほとんどです。「夢」と思っていたことの多くが、他人を見て「うらやましい」と思うこと、つまり単なる「妬み」である場合も多かったりします。

「他人の煩悩」から解放されるて初めて、「穏やかで『生かされている自分』に感謝することができる人生」を送ることができるのだと思いました。
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by hito2653 | 2013-02-17 15:49 | 読書