「働く意味が分からない 生まれてきた意味が分からない」―人はパンのために生き、パンのために働く-

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「しがみつかない生き方」 第6章「仕事に夢をもとめない」より 

半日診察室で外来診療をしていると、2,3回はこんな言葉に出合うことになる。

「私は、どうして生まれてきたか意味がわかりません」
「私なんて生きている価値もありません」

うつ病などで病的に気持ちが落ち込み、むなしさや絶望感に陥っているあまり、そう口にする人もいる。そういう場合は、その発言そのものでなく、それを生んだ気持ちの方に「そうですか。ずいぶんおつらいんですね」と共感を寄せる。002.gif

しかし、ついこんなことを言ってしまうこともある。
「生まれたり生きたりするのに、なにか意味か価値なんて必要なんですか」

すると多くの患者さんは、驚いたような顔をして言い返す。005.gif
「意味がないのにただ生きている、なんて・・。そんなつまらない生き方、考えたこともないですよ」と。

この人は議論に耐えられるエネルギーがある、と思った場合には、さらに私は付け加える。
「そうですかね。じゃ、あなたから見て、この人なら生まれた意味がある、生まれた価値がある、と思えるのはどんな人ですか」035.gif

シングルの女性なら多くの場合はこうだ。
「それは、結婚して夫に必要とされ、子どもに必要とされている女性ですよ。母親ほど価値のある生き方ってないじゃないですか」

男性の場合は「母親」のかわりに意味や価値のある存在として「社会的に大切な仕事をしている」だとか「会社を経営している」とか「クリエイティブで自分らしく仕事をしている」という人があげられる。

また、「何のために働いているのかわかりません」という人も「生きることに意味を求める」のと同様、「働くこと」になにかの価値や意味を求めている。

生きること、と働くこと、について考えたい。
人はなんのために働くのだろうか。お金を手に入れ、衣食住を充実させるためか。しかし、新約聖書には「人はパンのみに生きるにあらず」とあるところを見ると、仕事をしてお金が手に入ったとしても豊かさはもっと別のところにあるようだ。
インターネットには「食べるために働くのは、もうやめにしませんか。今日からあなたは、本当に好きなことをして、豊かな生活を手に入れるのです」といったフレーズがあふれかえっている。
“パン以外”の働く意味がいよいよ明らかにされたか、と期して先を読むと、そのほとんどが「在宅ビジネスのノウハウ伝授」というやや怪しげなビジネス広告であることがわかる。

では、「仕方なくやるのではない、本当にやりたい仕事、ほんとうに意味のある人生」とはそう簡単にわかるのだろうか。
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他方、診察室には、このような人もたくさんくる。042.gif
「不妊治療を受けているときは、本当にやりたいのは母親になること、と信じて疑わなかったのですが、いざ子どもが生まれてみると、仕事で充実している友達がうらやましくて」

「業界でナンバーワンになるのがずっと夢だったんです。でも、それが実現できても、思ったほどの達成感はありませんでした。もっとランクが下でも、楽しそうに働いている後輩を見ると、そっちが真っ当だったかも、と思うとむなしくなりました。」


「夢」のために、生きる「意味」のために、まじめに突き進んできた人たちだ。

しかし、「これだ」と確信していたはずでも、人間の気持ちなど体調が悪かったり、ふと他人を見たりするだけで、簡単に変わってしまうものなのだ。039.gif

精神分析学者の「ジャックラカン」は「(自分の)無意識とは他者の欲望である」と言ったが、心の奥の奥、無意識が抱いている夢の多くは自分の意識ではなく他人の欲望を自分の欲望と信じているものが大半である。深層心理の中にある夢の中には「不老不死」などそもそも実現が不可能なものもあり、中には実現しない方が自分や回りのためによい、というものもある。005.gif

このように、精神医学的には、夢は手放しに礼賛するべきものではなく、かなり厄介な存在だ。だから「私は自分の本当の夢を実現できるような仕事をしたいんです」などと安易に言うのは、精神科医から見たらとても危なっかしいことだ。
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「人はパンのために働いている」
さらに「夢を仕事に」といった言い方が問題なのは、「夢とは違う仕事なら、働く意味がない」と思って仕事から遠ざかる人が増えることにある。
就職活動になかなか取りかからない学生、転職を繰り返す若者。
そういった人と話しているとすぐに出てくるのが、「本当にやりたいことが見つからないので」という言葉だ。

まじめな彼らは、「本当に好きなことを仕事にしなさい。仕事で夢を追いかけなさい」といった大人たちからのメッセージを律儀に信じるあまり、「夢や好きなことが見定まらない限り、働いてはいけないのだ」と思い込んでいる。
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私が大学を出て働いたのはひとえに「パンのため」であった。大学卒業と同時に仕送りは一切止める、と親に言われてとにかくすぐ報酬がもらえるようにしなければ、と思ったのだ。
“パンのため”であれば仕事に身が入らないかと言うと、それは違った。
この仕事を失った今月から暮らせないと思うと、かえってそれなりに真剣になる。また、仕事そのものが「本当に好きなこと」とは違ったとしても、その中である程度長くやっていると、だんだんと技術が身についていき、周りからも認められたり頼りにされたり、と別の喜びを味わえる。しかもちょっとうまくいかなくても、「これはしょせん本当に好きな仕事じゃないんだから」という逃げ道があるので、激しく落ち込まずにすむこともある。
仕事と適度な距離感を保つことで、燃え尽きずに長く続けることができる。

私はある時点から自己実現ではなく“パンのため”の仕事だからこそ私はこうして続けていられる、と思うようになった。

もちろん、自分は仕事をとおして自己実現できている、と思っている人はあえてそれを自分で否定する必要はない。ただ、「好きなことを仕事にしていない」「仕事で夢を追いかけていない」という人も、自己嫌悪に陥ったり仕事をやめたりする必要はないのだ。「私は何のために働いているのか」と深く意味をつきつめないほうがよい。

どうしても意味がほしければ、「生きるため、パンのために働いている」で十分なのではないだろうか。056.gif056.gif056.gif

人はパンのみにて生きるにあらず。しかし、パンなしでは愛の実現も夢の実現も不可能なのもまた事実だ。パンだけのためにどうしても嫌いな仕事に就くことを強いられたり、雇用者に搾取され続けたりするのも問題だが、深い意味がなくても仕事をしつづけることに意味があるのではないかと思うのである。
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by hito2653 | 2013-02-17 15:09 | 読書