破滅しないために休む
そんな休み、どう過ごすか。
立ち読みしていた本に面白いことが書いてありました。
休日は枕を捨てよ、町に出よう
※以下チェック
☑休日は昼過ぎまでゴロゴロしてしまう。
☑そして、気付けば夕方になる
☑もともと、外に出る気もなかった
私を含め、ハッとした人も多いのではないでしょうか。
「枕を捨てよ」という表現が面白い。「枕」は電車の中や会社の休憩室で寝るときにはないモノなので、平日の休息にはない、「本気のごろ寝」には欠かせない小道具といえるでしょう。
年明けからの激務に備え、ここは思いっきり休むか、いや休みぎ寝すぎも不安・・そんな人も多いのではないかと思います。
反面、「休め」と言ってくれている本もあります。私の好きな五木寛之さんの本の言葉を引用しておきます。
「破滅しないために、休む」
「『目覚めよ』より『眠れ』の方が大事だ」
「内なる声に素直に傾ける」
眠るということは、目覚めていることよりも価値がない、または敗北とする考え方は近代の大きな落とし穴だと思います。
最近の医学関係の研究で一番おもしろいとおもったのは、人間の免疫をつかさどる細胞は、睡眠中に骨髄でつくられる、という報告でした。これを聞いて「眠る」ということはいかに大事な営みか、あらためて気づかされたのです。
「惰眠をむさぼる」というように、眠ること自体が悪いことのように言われたのは、封建時代以降の生産力志向に他ならない。それはできるだけ起きて働け、ということでした。しかし、そのような啓蒙主義はもうすでにその役割を終えたと私は思う。
現代人にとって「休む」ということは、非常に大事なことだと思います。肉体的、精神的な危機に陥ったときは理性の判断より、心の奥底から発する「内なる声」に素直に従った方がいい。その背後には、動物的な自己防衛、というかもうここで休まないと自分の体が危ない、という無意識の意識があるからです。
どんな試みにもリスクはある。休むといってもある程度覚悟して休まなくてはならないわけです。実際、これまでの日本社会では、休まない人たちが出世競争で勝利者となってきました。休むということのマイナス面がプラス面を大きく上回っていたのです。
それにもかかわらず、最近日本人が休息を求めるようになってきたのはなぜでしょうか。
それは精神的なクライシスをどう回避するか、ということが重大な問題になってきていることと無関係ではない。
年間三万人もの自殺者が出ているいま、一歩間違えば、誰もが自分の命さえ絶ちかねないという危険があるのです。
しかし、そのとき語られる「休息」の必要性とは、働かなくてもいいということとは違います。「休むことのすすめ」は決してドロップアウトのすすめではない。
むしろ、これからいっそうシビアになっていく実績社会、選別社会の中で生き残っていくためには休息が必要なのです。自分がクライシスモーメントの臨界点に達したと思ったとき、破滅しないための転換法や、生活の中の句読点としての休みを取る。それは、自分の責任で自分の身を守る、ということに他なりません。
「休む」についての深い洞察です。
さすが作家、「内なる声」とか「生活の中の句読点」とか表現が素晴らしいです!
が・・
後半になるにつれて、内容重すぎ!!(笑)
何事もバランスが必要と思われます。みなさま、お正月休みはゆっくりとお休みくださいまし!