芸術でココロを磨く ~文化と利他の心~
金曜日 書道教室(毎週行ってる)
土曜日 茶道部(毎月行ってる)
日曜日 芸術勉強会(年1回 地元で美術講義を聴き、お茶室や芸術品に触れる。)
全部団体とかは別だけど、日本美術に触れた週末だった。
今日は、勉強会ではっとした言葉があった。
「日本文化、というのは、例えば『茶道』のように、『おもてなしの心』を大切にするように思われるけれど、それは何も日本文化や芸術に限ったことでない」
へっぽこ茶道部員が言うのもナンやけど、茶道はまさに多方面の芸術の集大成だと思う。
書にお道具、花にお庭、そして美味しいお茶とお菓子のある空間。
でも、茶道以外の日本文化や、外国の芸術だって、
究極は見る者を「楽しませ」、「相手の心を思う(利他)」という心は芸術の究極目的として共通している。
休話閑題。
日本芸術を見るにあたって、転換期として重要な時代は、
「桃山時代」だそうだ。
これまでの戦乱の世の中から、一応の「平和」が訪れ、平和的な題材が多くなっている。
「憂き世」から「浮き世」への転換しつつある時代。
そこで、庶民からの芸術家も多く現れる。
王朝文化への憧れから、源氏物語や伊勢物語を題材とした絵なども多く見られる。
町衆の中でも、先陣を切っていたのは、かの有名な「俵屋宗達」
ご存知のとおり、琳派の、尾形光琳も宗達の作品に大きな影響を受けたといわれている。
しかし、わかっているのは、「京都の扇屋であった」ということくらいで、生没年すら不詳の宗達。
ただ、町の絵師では異例の「法橋」の位が与えられていたことも分かっており、「法橋宗達」の名が残されている屏風もある。
そして尾形光琳も、もともとは京都の裕福な呉服屋の生まれであった。
しかし、時代が変わり、商売が傾いた際、せっかく集めた芸術品を質にいれなくてはいけなくなったそうだ。
その際、宗達の屏風を「寸分違わずトレース」したそうである。そののち、世界にも衝撃を与える芸術家になったということは言うまでもない。
つまり、京都の町衆が、日本芸術に、いや世界に大きな影響を与えていたのだ!!
▼ 左京区のとある場所より撮影。送り火も終わった、青々とした大文字山
「素晴らしい芸術は人間の獣性を抜き、情操と品性を高める。
美術史を学ぶにあたって、元号はあまり重要でなく、どんな時代であったかを考えてみるだけでいい。その時代の人の気持ちを考えてみる。それが自分の心を磨く鍛錬にもなる。
そうして、高いレベルの芸術作品を見て、自然と『微笑む』ことができたら、自分自身の人間性が磨かれた証拠である」
講師は最後にこのように言っていた。
だまって微笑んでいたら、コワい気もするが(笑)AKB見て微笑むんと違うから(笑)それはそれでいいとおもう。
日本芸術を学びたいモチベーションが沸いてきた。芸術で情操と品性を高め、心優しい人間になりたいものである。