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土曜日に嵐山へ行ってきました。

秋の行楽シーズン、というのもあるのですが、先日の台風の影響が心配で、自分の目で見に行こうと思ったのもありまして・・。

思ったより人が多くて、「にぎわい」は戻ってきているんだー、とあんしん。

ただ、川に近いお店は今もデッキブラシでお店の中を掃除されていて、手書きで「10月中旬以降に営業再開します」という張り紙が貼ってありました。 (さすがに写真は撮れませんでしたが)

同じ川沿いのお店でも、階段や傾斜で少し高いところにあるお店と道と同じ高さにあるお店では全然被害の状況が違ったみたいです。

今回は前回花燈籠(2月)のとき寒すぎていかなかった、嵐山の庭園「大河内山荘」に行き、お抹茶とお庭を満喫しました。

1,000円でお庭の散策、京都の街が一望できる高台に行けて、お抹茶まで頂ける。
嵐山散策の際、お勧めします。

あと、嵐電の駅で、150円で嵐山温泉の「足湯」に入れますよ。

まだ復旧中のところもありますが、嵐山は風光明媚な観光スポットとして健在。
足を伸ばして行ってみてくださいねー★
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またまた半沢ネタです。
いやーすみません、半沢ネタにすると視聴率(ブログアクセス)がよくなるもんで。011.gif

今は渦中の「みのもんた」さんですが、この方もかつてはテレビで一日見ない日はない、というくらい売れっ子でしたよね。

でも、単純に疑問に思ったことがあります。
なぜ、これだけ「アンチ」「嫌い」な人がいるのに、こんなに売れっ子だったのか。

それは、5年以上前に読んだ冷泉彰彦氏の本で、みのもんたは「コードスイッチ話法」を巧みに使っているということが書かれていたのを思い出しました。

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「コードスイッチ話法」とは、「敬語」といわゆる「ため口」をうまく織り交ぜて話すこと。私のブログでも、「です」「ます」調と「である」調がごちゃごちゃになっていたりします。

それによる効果は、「距離を縮めて、相手を説得する効果」
例えば、敬語ばかりで話しているとどうしても相手との「距離感」が出てしまいます。

かといって、社会人が「ため口」ばかりで話すということは第一ありえないですし、なによりも「なんでそんなに『上から』なんだ」と腹が立つか、「敬語も使えないのか」と逆にさげすまれたりしてしまいます。

「敬語」で説明や説得をし、「ため口」で親近感を持たせて「共感に導く」、ひとつの話術であると言います。

この「コードスイッチ」は、今まではアナウンサーの「禁じ手」だったらしいのですが、みのもんたがやり始め、今は辛抱治郎宮根誠司など、いわゆるアナウンサーあがりの司会進行者の間でかなり浸透しています。

ただし、「ため口」で断定的な表現をしたりするので、どうしても「ふてぶてしい」印象を与え、これらの人は好きな人とアンチに大きく分けられます。048.gif

また、この話し方には「中毒性」があり、一度はまるとその人がテレビに出ているとどうしても見てしまう、という傾向にあるというのです。005.gif

そして、言っていることが論理的であろうとなかろうと、「さもありなん」という気になってしまうそうです。

今の話を無理やり半沢直樹につなげると、半沢直樹も巧みに「コードスイッチ話法」を使っていたような気がします。

先のブログでも書いた「タブレット野郎」をやりこめるときも、最初は敬語で話し、途中から「〇〇だ」「こっちを見ろ!!」など、ため口にスイッチしています。

・・・半沢の場合は激昂しているだけかもしれませんが(笑)^^;

「ふてぶてしい」「なれなれしい」「えらそー」と紙一重ではありますが、「コードスイッチ」を巧みに使うことで説得力を増す、というのはなかなか面白いなと思いました。056.gif
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メンタリスト Daigoの半沢直樹に関するもので他にも印象に残った記事をアップしておきます。012.gif

半沢直樹に出てくる登場人物は何を一番の価値観にして様々な「決断」をしたのか、という見方をするとまた一考させられます。

私もかなりの優柔不断人間なので、下記の記事は印象に残りました。040.gif

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もう迷わない、もう後悔しない!  「優柔不断」から卒業できる簡単な方法

できるビジネスパーソンは決断が早いと言われます。私が普段お会いする企業のトップの方々も、まさに「即決」です。005.gif

 では、どうすれば後悔せず、迷うことなく決断することができるのか。答えは簡単、いたってシンプルです。

「自分が絶対譲れない、人生において大切なもの」を明確にし、それを基準に判断することです。072.gif

企業のトップなら、優先すべきは「会社の利益か自分の体裁か」、人生ならば「家族との時間か会社での出世か」など、絶対に失いたくないものや、人生で必要不可欠なものが何かが明確であれば、判断を間違うことも迷うことも、後悔することもありません。047.gif

 このことがわかってから、私も決断が早くなりました。私にとっての絶対譲れないもの、それは「知識」です。私が本が好きで、本を読むため、知識を得るために生きているといっても過言ではありません。お金や地位や名誉はいらない。ただ本が読みたい、好きな本を好きなだけ読めるように働いているし、本を読む時間がなくなるような仕事のやり方はしていません。

 人生の決断ならば、「自分の人生における必要不可欠なもの」、ビジネス上の決断ならばそのプロジェクト、仕事、交渉においてで「もっとも目指したいゴール」を判断基準にすると、驚くほど決断は早くなります。あれもこれもとよくばりになればなるほど、決断できなくなり、結局いい結果には結びつきません。

 あらゆる決断に通用する「自分なりの確固たる基準や尺度、ものさし」を用意しておきましょう。

決断力とは、自分の中に「動かざる基準」「ゆるぎなき信念」を持っているかどうかだと私は思います。
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連休も終わり、明日から仕事・・。(><)
大好きなドラマ、半沢直樹、最終回で(一旦?)終わっちゃいましたが、結末に「ええええ005.gif」ってなった人も多いと思います。
その中で、「メンタリスト Daigo」のビジネスコラム(無料)に「なるほどー001.gif」と思ったので紹介しておきます。
なるほどー、「ツァイガルニク効果」か。未完の方が記憶に残るってことね。012.gif
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***まさかのエンディング最後に仕掛けられた究極のメンタリズム***

 中野渡から、まさかの出向命令。あの半沢がこのままで終わるわけがない。続きはドラマ版パート2か?それとも映画か?

 続きに含みをもたせたこのテレビドラマの終わり方の手法を、
「ツァイガルニク効果」と言われています。これは、完了した情報よりも「未完」の情報のほうが、記憶に残りやすいという心理効果のことです。

ドラマやアニメが1話完結せずに“いいところ”で終わるのはこのためです。未完で終わることによって、見る者の記憶力が高まり、一週間後でも前回の話を鮮明に覚えているという現象を促しているのです。

 このツァイガルニク効果、実はビジネスにおけるプレゼンや交渉にも効果的に役立てることができます。方法は簡単。最後の最後に、未完の情報を付け加えるだけです。

 プレゼンでは、今後の展開や現在進行中のプロジェクトの内容を、商談では相手が興味を持ちそうな情報を、最後に“さわりだけ”軽く紹介して終わらせるのです。こうすることで、提案や商談内容が先方の記憶に残りやすくなり、脳に強い印象としてしっかりと刻みつけることができます。「次へとつながる情報」をプラスするだけで、相手はあなたと次回会うことが楽しみになるのです。

 そう、みなさんや私が『半沢直樹』の続編を楽しみにしているように。

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ネットでは、近藤が裏切りから目を覚まし、大和田に不正を突きつけ大和田が破滅し、半沢が役員に出世する、なんて憶測がありましたが、それだったら普通すぎるし、完結してしまう。048.gif

「消化不良」と言う人もいましたが、
ある人は、「倍返し」できてハッピーエンドなんて思ったら甘い。応酬は応酬でそのツケを食らわされる、という意見を言っていました。
私は後者に共感しました。011.gif

・・とにかく、話題になったことには間違いないですね。明日の視聴率発表が楽しみです。070.gif
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by hito2653 | 2013-09-23 21:41 | 雑感。
また、京都人に誤解が出てくるかもしれないが、ちょっと前にピリリと小さいけれど突き刺さった言葉について、「これは『いけず』なんやろうか」と思ったのでメモ。

「それは、よそさんですわ」

これは、以前ある神社の行事にいったとき、その行事が前日で終わっていることをその場で知った。そして、近隣の神社でも同様の行事をやっていることを知っていたので、そちらの神社ではまだ今日もやっていますか、と年配の巫女さん(50歳くらい?)に聞いたときの言葉。

神社ってなんとなく公共性があるから、横のつながりがあると思ったので聞いたけれど、そうでもないらしい。また、年配の巫女さんは珍しいので、より知ってそうな雰囲気も醸し出していたのであえて聞いたのだ。

しかし、言い方がいかにも「うちと関係があると思ったら大間違い、自分で調べてから来なさい」と短い言葉にこめられていて、その日は何度もその言葉が脳裏に浮かんだ。

「そうですか。すみません」とだけ言って去ったが、「ごもっともです。失礼しました」とより慇懃に言った方が溜飲が下がるのではないかと少し後悔したりもした。

よく京都人は「いけず」というが、あまり男性に対して「いけず」という言葉が使われることはない。「いけず」というのは「女性的」なのだろうか。言葉の裏や言い方に婉曲的に小さな「悪意」というか「戒め」があるのだ。

ただ、「いけず」な女性の方が、より女性的であるがため、物事に対して「ものしり」で頼りになることが多いのも事実だ。

私はたぶん、「いけず」ではないし、女性としてこう「あるべき」というような、物事の道理もわかっていない方だ。

ただし、それなりの年齢になった分、これまで鈍感で気付かなかった「山椒」のようなピリリとしたほんの、ちっさーい「悪意」にも気づくようになってしまった。
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京都人は「ちりめん山椒」が好きで、たまに知り合いから両親が「たいたん」(炊いたもの)を頂いてくることがある。ちりめんはホロホロと美味しいが山椒がある分、ピリっとする。

同じ女性なので変に敏感になった分、精神的なダメージも強いが、それを最小限にして、角を立てず「いけず」な相手に感謝する策も少しずつ身につけていくのが大人の女性だと言い聞かせている。「いけず」の人は存外「笑顔」に弱いようである。

それも「いけず」な笑顔にならないようにしないと、「いけず」の連鎖になってしまう・・
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by hito2653 | 2013-09-23 21:24 | 雑感。
書店で見かけて、ずっと気になっており、映画化されるということや、かなり面白いという評判を聞き、別の書店で購入。

時代小説とかは実は苦手(世界に入り込むのにパワーを使うので疲れる)な私でもテンポがよくスラスラ読める。それでもって、歴史情緒や日本文化の素晴らしさがわかった「気に」なれる。

おススメ。ちなみに、今ベストセラーの山川の歴史図表(カラーなのに安価で分かりやすい。)や京都検定の教科書(写真の帯が・・^^;)を辞書みたいにして読むと、より理解が深まります。
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by hito2653 | 2013-09-21 23:30 | 読書
さあ、明日は半沢直樹最終回ですねー。
視聴率は「ミタ」超えになるのか注目されています。

そんななか、先日テレビでの視聴者のお悩み相談コーナーでこんなものがありました。

「半沢直樹がヒットしてから、部下がやたら『正論』をふりかざしてきて困っています。
特に組織では、『正論』だけでは物事が回らないことってありますよね。
はっきり言って『ウザイ』です。どうしたらいいでしょうか」
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それに対するコメンテーターの意見。

半沢直樹ってさ、あれは「仕事ができる」というのが大前提にありますよね。
よほど仕事ができないとあれはやっちゃいけない。
あれで仕事ができないようじゃ、単なる「痛い人」か究極に「カッコ悪い」人ですよ。

だいたい、「正義」だの「愛」だの「戦う」だの言ってる人は、基本的に「胡散臭い」んです。

「胡散臭い」と感じる理由は、そんだけ必死になるってことは、逆にその人自身がなにか「やましいこと」「後ろめたいこと」「不安」があるんじゃないのか、って思ってしまうんです。


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なるほど、納得。
「正義ほど胡散臭いものはない」この言葉はホリエモンの言葉でありますが、妙な納得感があります。

先日、スピード離婚に隠し子騒動のあったある議員も、声高に正義を主張するところに一種の「胡散臭さ」を感じたのは私だけでしょうか。

また、中国の反日デモなども、日本をバッシングすることを「正義」と信じてあのような激しい行動に出ているわけですが、背景にには、「貧富の差」「社会不安」など日本とは関係ないところが影響しているといいます。

つまり、ぶつけようのない怒りを一種のカタルシスとして激しい形で放出する。そのためには架空の「敵」と「正義」を盾にする必要があるというのです。

ここまで書くと考えすぎかもしれませんが、偽半沢直樹がなぜやっかいか、胡散臭いか、というのがスッキリしたような気がします。

明日の半沢直樹、最終回楽しみですね。037.gif
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by hito2653 | 2013-09-21 15:20 | 雑感。
名月なのに、家で夜うだうだしてるのもなー、と思って
遅い時間からですが、足を伸ばして神泉苑に行ってみました。

神泉苑は夜に行くと幽玄な感じがするので好きです。
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観月祭りはもう終わっておりました^^;
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7回に分けて、曽野綾子氏の著書人間にとって成熟とは何かの内容紹介をさせて頂きましたが、いかがだったでしょうか。(これまでの記事はブログ記事下のタグ♯曽野綾子をクリックしてください。)

一部、過激な論調のところもありますが、至極まともで、常識的ですっと腹に入ってくる内容だったと思います。老人なのに成熟していない人というくだりは、この方自身が御年80歳を超えるからこそ書ける部分だと思います。005.gif

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今、ネットで大激論となっている曽野綾子氏の寄稿、出産したらお辞めなさい

ネットでは、今の日本で働く女性の現状を知らない、とか大半が否定的な意見でした。

言葉の一面だけをとらえると、まるで働くママさんにケンカを売っているような言葉です。013.gif
「あんたら迷惑なんだから、手のかかる子供がいる間は一旦辞めたらいいんだよ」と。

しかし、御存じのとおり、今の日本の企業社会では、一旦完全にリタイヤしたママさんを再度受け入れてくれるような体制は殆どありません。あったとしても、ものすごく給料水準が下がったり、前と同じような仕事ができなくなるのが通常です。

それに、昔と違って旦那の年功序列が約束されなくなった今は妻の収入を完全にあてにして暮らしている、という現状もある。

「そう簡単に辞められない」「辞めずにがんばっている人もいるんだ」と言いたくなる。008.gif

一方先日テレビでも話題に挙げられていましたが、コメンテーターが新潮社編集部長の中瀬ゆかり氏という非常に人間力のある人なので、ネットでの意見とは別のとらえ方をしており、ごく的を得たものだったと思います。

中瀬氏は、「曽野さんはいつも、他人が言いたくて言えないことをズバッと言ってくれる爽快さがある」と評価しています。「曽野さんの本を読んだ人と読んでいない人とではとらえ方が違う」と。

拙ブログの記事の「権利を使うのは当然」と考えない ―野田聖子氏の言葉への違和感―(曽野綾子)
をご覧いただければ、もう少し見方も変わるのではないでしょうか。005.gif

野田氏自身が権利を使うこと自体を批判しているのではなく、権利を使うのが当然、というところを批判していることが分かりますね。047.gif
女性が「労働者の権利」を当然のように唱えていることに違和感を感じているのではないかと思います。

拙ブログ「コスパにうるさい人は仕事ができない」も多少の批判やご意見がありました。
コスパにうるさい、というのは合理的で当たり前のことだからいいじゃないか、と。

しかし、自分の損得だけでものを考え、感謝の気持ちがないということが問題なのだと思います。008.gif

出産も育児もしていない私がエラそうに言えませんが、周りの人への感謝、気遣いがあれば別に辞めなくてもいいと思います。

「私は育児をしてこんだけ大変なんだから、会社の権利を使うのは当然」と思うことが問題なのだと思います。
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by hito2653 | 2013-09-19 14:41 | 雑感。
「感謝が抜け落ちた言葉」

雑誌を読んでいたら、野田聖子議員に対して行われたインタビュー記事が出ていた。
この人は子どもを持ちたい、母になりたい、という思いが強く、なかなか妊娠できなかったのをアメリカで卵子の提供を受け、50歳になってから母になった。

ところが、長男はいくつもの障害を持って生まれてきて、何回もの手術を受けてその短い人生の多くの時間を病院で過ごしている。

この問題について高齢出産はどんなに人間の自然に反しているのかという意見や、胎児にも危険が高まるという医師の言葉も何度も聞いている。

一方で、医学的な検査で異常が出てきても正常に生まれたという例を数回聞いているし、この子供たちももしかすると中絶させられるところを、素晴らしい人になって、社会で働いているかもしれない。

夫婦が長い人生の道のりでどんな生き方をするべきかというのはもちろん当事者にしかわからないことだ。私たちは、夫婦が自分の体力、経済などの許容範囲で法に触れない限り、どんな生き方をしてもいいと思っている。

現在の日本では、かなり突拍子もない自由も許される。だから、周囲が口をさしはさむべきことはないし、野田夫婦に関して言えば、病気に打ち勝って成長してく息子の姿を見れば、その存在に異議をさしはさむ人はいないだろう。どうにかして無事に育ってほしいと思うばかりだ。

しかし、野田氏のインタビューの中に、私はどうしても違和感が残る言葉があった。
インタビュアーは、費用はどうして出したか、という当然の質問をしている。
誰もが基本的に思う疑問だ。それに対して野田氏は、

「え、費用ですか。息子を授かる費用は夫が蓄えてきたものの中から出して、生まれてからの息子の医療費は、医療制度によって支えられています。
高額医療は国が助けてくれるので、みなさんも、もしものときは安心してください。」


この部分に関して、おそらくすべての人は黙しているだろう。何よりも大切なのは命の継続だ。

しかし、この野田氏の言葉は重要な点に全く触れていない。それは自分の息子がこんな高額医療を、国民の負担において受けさせてもらっている、一抹の申し訳なさ、感謝がまったくない点である。

もう一度明らかにしておかなければいけないのは、私は野田氏の子どもさんに高額医療を受けさせるのはいけない、と言っているのではない。

病を抱えた子供たちが、充分な医療を受けられるように国民健康保険の制度が作られている日本と言う国は、世界的に見て「天国のような国」なのだ。その国民である野田氏夫妻が、これを利用して子どもさんを育てることも、誰にも憚かれるのことのない当然のことである。

しかし、それだけでは済まないと私は思う。
私自身が、まず野田氏の言葉に違和感を覚えたのは、野田氏がこのことを当然の権利の行使と考え、その医療費を負担している国民への配慮が全く欠けていることであった。

誰にとっても、出費の心配などせず子どもさんの治療ができるのはいいことである。

しかし、その背後に人間性があるかないかで印象は非常に変わってくる。

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「遠慮という言葉で表される美学」

確かに不当な遠慮はいらない。不運や病気は当人の責任ではない。
そのような不平等を越えて、生まれてきた以上、生きることが人間の使命でもある。そして人間は生かされ、同時に他者を生かすためにも働くようになる。

ところが、最近では、受けて与えるのが人間だという自覚が全く薄くなった。長い年月「人権とは要求することだ」と教えた。これが人間の精神の荒廃の大きな原因であった。

しかし、少なくもと私は「人権とは、受けて与えることです」と教えられて育った。最近周囲を見渡すと、実にもらうことが平気な人が多くなった。「もらえば得じゃない」とか「もらわなきゃ損よ」とか、そういう言葉をよく聞くようになったのである。
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昔、すくなくとも明治生まれの母の世代には、もう少し別の美学があった。
当時の人たちは、今の人と比べると当時の教育の程度は随分低かった。

しかし、精神の浅ましさはなった。遠慮という言葉で表される自分の分をわきまえる精神もあったし、受ければ、感謝やお返しをする気分がまず生まれた。

野田氏のように権利を使うことは当然という人ばかりが増えたから日本の経済は成り立たなくなったのだ。使うのが当たり前、権利だから当然、という人が増えたら、結果として日本社会、日本経済はどうなるのだろう、という全体の見通しには欠けるのである。

私たちは、誰もが多くの人のお世話になって生涯を送る。
お世話になっていいのである。他人のお世話にならずに生きていける人などいない。しかし、どれだけお世話になったか見極められない人に何の仕事もできない。

政治はもちろん、外交も経済も学問も芸術も、すべては強烈に他者の存在を意識し、その中の小さな小さな自分を認識してこそ、初めて自分の分をわきまえ、自分が働ける適切な場を見つける。それができるようになって中年から老年にかけて黄金のような日々を送れるのだ。

肉体が衰えていっても、魂や眼力に少し磨きがかかる。
成熟とは、鏡を磨いてよく見えるようにすることだ。
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