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朝のコンビニ。

2つあるレジのうちの1つは休止中。
短い時間に一気に1つのレジに列ができることは通勤ラッシュの時間帯にはよくあることだ。

商品を整理していた店員さんが走ってきて「こちらのレジへどうぞ」
もうひとつのレジの「休止中」のプレートが取り払われた。

そのレジにサッと一番先にならだのが、私の後ろに並んでいたおばさんだった。002.gif
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普通に考えると、「え?005.gif」って感じだけれど、そういう誰が見てもおかしい状況のとき、
お店の人はどういう反応をするか見てみた。026.gif

そのとき、〇ブンイレブンの店員さん(おそらく主婦の人)が言った言葉が・・・

「少々お待ちいただけますでしょうか。」

なるほどーー、と思った。

こういうシチュエーションのとき、人によっては
「お先にお並びのお客さんもいらっしゃいますので・・」という人もいるけれど、そこまであえて言う必要はない。しかも角をたてず、無神経なおばさんを静止させることができた。

「無神経な人」や「わかっていない人」には、説明しすぎず、相手の立場も尊重し、さらりとかわすのがコツのようである。071.gif

そう考えると、自分は日常「こころある言葉」を使っているのか、と感じることがある。

例えば、「自分はこんなに忙しいんだ」ということをダラダラ状況説明しても、相手に伝わることはほぼない。

何事もストレートに状況説明しすぎると、それは「こころない言葉」になってしまう。
短く婉曲的に「こころある言葉」を使ってみよう。010.gif
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by hito2653 | 2013-02-27 22:17 | 雑感。
イライラは人生のあらゆるものを悪い方向にしか みちびかない

最近、そう感じ、気を付けるようにしています。

イライラについて、勝間和代さんがメルマガでおもしろいことを書いていたので引用してみます。012.gif

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なぜ私たちは「意味が無い」とわかっていても、行動してしまうのか~選択理論心理学から

こんにちは、勝間和代です。
調理の話から、なぜ私たちは、単にオーブンで待っているだけ、といった料理よりも、フライパンにつききりで、かき回し続けるような料理を作るときも好むし、食べるときもその方が美味しいと思うのか、ということを考えました。056.gif

実はこれは、「選択理論心理学」というグラッサー博士が提唱した心理学でうまく説明ができています。

選択理論心理学では、理想の姿と現状を比べて、そこに違いがある、バランスが崩れているときに、私たちはどうしても、
「何か行動を起こすことで、例えそれが、意味の無い行動でも、欲求を満たそうとする」という傾向があると言うことです。

例えば、カレーを作ろうと思ったときにも、いま目の前にあるまだ煮えていない野菜と冷たい水があって、本当は、それが沸騰するまで、じっと我慢をして、蓋を開けない方が結果的には早く仕上がるのですが、つい、気になってしまって蓋を開けたり、あるいは、必要も無いのにかき回してしまうような行動です。

これを防ぐためには、やはり、理想の姿と現実の姿のギャップを埋めるために、どのような行動が本当に効果があって、どのような行動が意味が無いのか、学習していくしか無いわけですね。

怒り、もこのようなギャップの充足行動の1つだと思います。望む姿と現実が違うから、

怒ることで、気持ちを埋めようとするわけです。しかし、この怒り、怒れば怒るほど、望む姿と現実が離れていくことは、みなさんもご存じの通りです。

上手に自分の欲求とつき合っていきたいですね。選択理論心理学をより学びたいという型には、私の選択理論心理学の先生でもある、下記の渡邊奈都子さんの入門書が大お勧めです。


つまり、「イライラ」「怒る」という感情は理想と現実に乖離があるときに起る感情です。
それは、何も生み出さないが、何かせずにはいられないため、起る感情だというのです。

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以前読んだ、伊坂幸太郎の「重力ピエロ」にある、こんな一文が好きです。

「不幸だとか、病気だとか、仕事が忙しいだとか、とにかく、自分が他の誰よりも大変な人生を送っている。そういう顔をしている。それに比べればあの鳩のほうが偉い。自分が一番辛いとは思ってもいない」


自分だけ、なんでこんな忙しいんだ、なんで思い通りにいかないんだ、
いらいらいらいら・・・


鳩のほうがよっぽどえらいのです・・003.gif
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by hito2653 | 2013-02-25 21:52 | 雑感。
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京都の京福電鉄って知ってます?いわゆる「ちんちん電車」。通称、「嵐電」(らんでん)って言います。
実用だけを考えると「遅い」「揺れる」「狭い」という人もいますが、休日に使うのなら、なかなか情緒があっていいものです。

▼ 乗り換え。
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▼ 嵐山線から北野線へ。鉄道マニアっぽい人が一生懸命写真を撮ってはりました。
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さて、今日は京都の禅寺を巡った後、精進料理をいただく、というちょっと粋な(?)ことをしてみました。
▼ お寺のメッカですな。地図左下は立命館大学。
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「御室仁和寺で」下車。その後てくてく歩いたら妙心寺に着きましたよー。
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▼ てか中 広い!!
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さて、初めての精進料理。ミシュラン1つ星の「阿じろ」さんに予約を入れました。
感想は・・・一言でいうと感動モノでした。
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まず、私一人のためにお部屋を用意して頂き、びっくり。
「いいんですか」と聞くと、「みなさま、同じようにさせて頂いておりますから」とにっこり。
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▼ 最初に出た、湯葉のおすましが、やさしいおだしで外が寒かったので体に沁みる・・
ゴマ豆腐が格別に美味しい。
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▼ 「縁高」弁当というそうです。「ふちだか」は濃茶のときにお菓子をいれるときに使うものです。
「精進料理」と「茶道」は非常に近いものであるようです。もうちょっと調べてみたいと思います。
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▼ 白味噌の汁物がもい一品出てきます。「精進」なので肉魚などの「生臭もの」は一切使っていませんが、全く物足りなさを感じません。アレ?イカかな?と思った食べ物は、おだしで味付けしたこんにゃくでした。
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▼ 度肝を抜いたのが、この「おこげ」。昔お坊さんが、御釜のおこげにお白湯を入れてきれいにしたことから、そのお白湯をいただくそうです。香ばしい味と塩味がします。もちろん中に入っている「おこげ」をかたどった焼きおにぎりを頂いても構わないとのこと。
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▼ このように、「おこげ」のお椀に入れて頂き、最終的に「おこげ」や「たくわん」でお椀をきれいにするそうです。
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▼ 最後に水ものです。
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お料理に対し、ひとつひとつ丁寧に説明頂き、作法などについても教えて頂きました。
本当に素晴らしい時間を過ごしましたが、本当にお値段が¥3,465(税・サ込)なのか不安になってきました。最初はお昼にしては高めかな・・と思ったのですが、実際行ってみて、7,8千円しても全然おかしくない内容です。

もちろん、お会計は上記のとおりでしたが。「嵐電」乗って禅寺寺院の散策、ミシュランの精進料理を頂いて、5千円でおつりがくる。最後にお金のことを書いていやらしくなってしまいましたが、京都観光をされる方はこんな一日を過ごしてみてもいいのではないでしょうか。
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すきなことを仕事にしたい。
仕事がなんでこんなに憂鬱なのか。

誰しもがふと、こう思うことがある。002.gif

先日、読んだ香山リカさんの本にはこのように書いてあった。
人はなんのために働くのだろうか。お金を手に入れ、衣食住を充実させるためか。しかし、新約聖書には「人はパンのみに生きるにあらず」とあるところを見ると、仕事をしてお金が手に入ったとしても豊かさはもっと別のところにあるようだ。

しかし、その後、こう続く。035.gif

私が大学を出て働いたのはひとえに「パンのため」であった。人はパンのみにて生きるにあらず。しかし、パンなしでは愛の実現も夢の実現も不可能なのもまた事実だ。私はある時点から自己実現ではなく“パンのため”の仕事だからこそ私はこうして続けていられる、と思うようになった。

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これを読んで、かなり前に読んだ藤田晋の
「憂鬱でなければ仕事じゃない」という
本のタイトルを思い出した。このタイトルは、デューク・エリントンの 「スイングがなければ意味はない」 という有名なフレーズをもじったものらしい。

ジャズ、とパン(=仕事をしてお金を得ること)を無理やり、つなげて考えてみたい。071.gif

ある人が、「僕は高校時代にもし跳び箱で指を骨折していなければ、ジャズトランペット奏者としての人生を歩んでいたかもしれないと考えることが今でもある。現実はそのときは夢にも考えていなかった、金融機関のいちサラリーマンとなってるわけだけど048.gif」と言っていた。
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しかし、つづけてこう言っていた。
「それは神さまがそうしてくれたんだろうな、と今になって思う。もし、大好きな音楽でメシを食うってことは、生活が不安定とか、そういうこと以前にものすごく『苦しいこと』だと思う。
自分の才能を疑ることもあるだろうし、カネのためにやりたくないライブ、やりたくない音楽講師とかの仕事だってやらなきゃいけないかもしれない。
『すきなこと』でメシを食うとなると、その『すきなこと』が『きらい』になるくらい苦しいことなんだろうな、と思う」012.gif


一方、趣味で音楽をやっている人は、気楽だし、すごく楽しそうだ。039.gif

いまやっている仕事が「やりたくない仕事」だから悩むのではなくて、
「パン」を得るために「真剣」に仕事をやっているから悩み、「憂鬱」になる。
「憂鬱でなければ仕事じゃない」というのはそういうことなのではないだろうか。
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「パン」なしには生きられず、「パン」を得るには憂鬱がともなう。
「仕事」の反対言葉は「道楽」である。
「憂鬱」であるってことは、「道楽」ではなく「仕事」をしているわけだから、パンを得るために生きることに対し、もっと誇らしく感じてもいいのではないだろうか。
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by hito2653 | 2013-02-23 16:50 | 雑感。
本日は、本の引用の長文ブログを連発しています。
昨日は東京からきた親友と、昼間からしっぽりと飲んでおりましたが(爆)、本日は色々読んだ本を記憶と記録に残すための作業と思索の時間

もう少しおつきあい頂けたらと思います。

さて、苫米地本、香山本は、読みやすく、自分や回りが思っていること(思ってそうなこと)を整理できる、良書。

特に「すぐに白黒つけない」というフレーズは、すっと入ってきました。

「断罪」という言葉も出てきましたが、最近、なんでもすぐに「良い」「悪い」を決めつけて白黒つけて断罪する人が多すぎると思います。002.gif

あいつは悪だ、とか、くだらない人生だ、とか。でも私はあえてスピリチュアル的なことを言うと、人を裁けるのは神仏のみであって、人間に分かるはずがない、と思っています。

私は基本的に死刑制度について反対なのですが、もしその人が冤罪だったらどうするんでしょうか。前に週刊誌で死刑受刑者の肉筆の手記が公開されていましたが、死刑制度についてのアンケートには「私のような無実の者もいるので反対です」と書かれていました。

もちろん被害者感情は無視できないのですが、よく死刑制度についてネット掲示板などの書き込みに「犯罪者はみんな死刑にすればいい」と書かれていることがあります。これも香山リカの「タトゥーを消したがる女たちへの手厳しいコメント」に通じるところがあるのではないでしょうか。

私自身も以前、「すぐに白黒つけたがる人」に苦しめられたことがありました。
その人も、「就職しても実家を出ない人は人間的にダメ」「公的機関に勤める人は向上心がなく、成長しない」など、いくつも持論があって、ことあるごとに「断罪」する人でした。

私も「断罪」され、「ダメ女」のレッテルを貼られました。
「行動」だけでなく、属性などもその批判の的になっていたので、自分はダメな人間だ、としばらく落ち込みました。

しかし、今思うとその人自身、自分に自信がなくて精神的にすごく不安定な人でした。
いや、その人だけでなく、「すぐに白黒つけたがる」人は、基本的に精神不安定な人が多いように思います。

「断罪」する人は、その人のあらゆることを否定し、排除します。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」みたいに、関係ないことまで全部悪い、みたいな言い方をしてきます。

でも、実際はどんな人でも組織や家庭において、なんらかの役には立っているものです。
危惧すべきは自分の精神の不安定さなのに、他人を咎めてかりそめの安心感を得ようとする、そういう人は自分だけでなく他人まで巻き込んで不幸にします。
問題は、白黒ではなく、そういう思考のほうにあります。

「断罪」はテレビの影響もあるのではないでしょうか。
食中毒事件を起こした飲食店、不正事件を起こした公務員、脱税をした芸能人。
本人も「悪い」と認めているのに、これでもか!というくらい、み〇もんたのようなテレビのコメンテーターは袋叩きにします。
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「白か黒か」
「黒い猫でも、白い猫でも、ネズミを捕るのが良い猫だ」という鄧小平のことばがあります。

黒かろうが、白かろうが、「その場」だけを見て、よい働きをすれば、それで良しとすればいいのではないでしょうか。ネトウヨの話をよく書いていますが、差別意識もそういうところから生まれるのだと思います。自分自身の働きに自信がないから他人の属性を批判するということです。

私自身はネズミをたくさん捕れるかといわれると、そうではありませんが、少なくとも他人に対して白黒つけて断罪し、自分も精神的に不安定である、みたいな人間にはなりたくないな、と思っています。
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by hito2653 | 2013-02-17 17:07 | 雑感。
「他人の煩悩を自分の煩悩と錯覚する」
-手に入れたとたんゴミになる―

香山本と苫米地本に似たようなことが書いてあったので、またご紹介。066.gif
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「他人の煩悩を自分の煩悩と錯覚する」
人間は、自らの欲望を満たしてやることで成長する。
これは真理だと思います。
ところが、現実の世の中を眺めてみると、欲しいものを得たその結果に満足せず、成長もせず、不満と不安にさいなまれている人がなんと多いことでしょうか。

自分で重要度を高めているものが、自分の中にたくさんあり、しかもそれをひとつひとつ満たしているにもかかわらず、幸福になることもなく、目覚めもしないのです。

自分の煩悩でないものを誰かによって脳に刷り込まれ、それがさも自分の煩悩であるかのように勘違いさせられているからです。

他人の煩悩が刷り込まれているもっとも分かりやすい例が、テレビのCMです。

クルマのCMを例にとると、そこは一定の制作上の法則を見てとることができます。

CMでは車の形状をかっこよく見せたり、高性能をアピールしたりするのは当然ですが、その映像にはクルマとは関係のないいくつかの仕掛けが必ずくっついてきます。
たとえば、運転席の前に広がる美しい景色。助手席からこちらに、にこやかな笑顔を向ける美女。そして後部座席には立派なブランド犬のペット。

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視聴者はまるでそのクルマにのれば、そういう世界が手に入るかのように感じられますが、それが、新型車のCMのオーソドックスな訴求方法となっています。005.gif

現実には、視聴者が走るドライブコースには見事な景色はないし、美人のカミさんや恋人がいるわけでもないし、ブランド犬に釣り合う社会的地位もありません。048.gif

すると、何気なく新型車のCMを見ている視聴者は知らず知らずのうちに自分の現状に対して不満を募らせます。033.gif

「美人の彼女が欲しいなあ」「社会的地位が欲しい」
そのような「煩悩」はいつのまにか、CMをつくった企業や製作者の意図によって、新しいクルマがほしい、という煩悩にすり替えられてしまいます。

これが、他人の煩悩が刷り込まれる仕組みです。

しかし、他人の煩悩とはあなたの自我そのものであり、それがあなたを不幸にしているのです。
なぜ不幸にしているかといえば、自分で重要だと思っていることは実は他人の煩悩であり、そうそう手に入らないものだからです。
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香山リカの本でも、このように書いていました。

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精神分析学者の「ジャックラカン」は
「(自分の)無意識とは他者の欲望である」と言ったが、心の奥の奥、無意識が抱いている夢の多くは自分の意識ではなく他人の欲望を自分の欲望と信じているものが大半である。深層心理の中にある夢の中には「不老不死」などそもそも実現が不可能なものもあり、中には実現しない方が自分や回りのためによい、というものもある。
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このように、精神医学的には、夢は手放しに礼賛するべきものではなく、かなり厄介な存在だ。だから「私は自分の本当の夢を実現できるような仕事をしたいんです」などと安易に言うのは、精神科医から見たらとても危なっかしいことだ。

「これだ」と確信していたはずでも、人間の気持ちなど体調が悪かったり、ふと他人を見たりするだけで、簡単に変わってしまう。
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また、以前この苫米地本で、「煩悩」について芥川龍之介の「芋粥」という小説を紹介していましたね。
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たとえば、私が「煩悩」で思い出すのは芥川龍之介の「芋粥」という短編小説です。

子どものころから「赤鼻」と呼び捨てにされる平安時代のだらしがない侍が、当時のご馳走とされた芋粥をはらいっぱい食べたいと思います。
それを聞いた藤原利仁という武将が、望みをかなえてやろうということになりました。
招かれた先で、その侍の前に芋粥がこれでもかとばかりに提供されます。
その侍は、やがて芋粥を食べることが苦痛となり、ついに「食べなくてもいい」という許しが出ると心から安堵します。

それは心ゆくまで芋粥を食べたいという夢を失うことと引き換えに許された安堵である、という残酷な小説です。手に入れたと思ったとたん、その喜びや満足感は泡のように散ってしまう。「煩悩」の本質とはかなさをよく表しています。
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(以下 私の感想)016.gif
よく、夢をもつのはいいことだ、と色々な本に書いていますが、「夢」なんてものは、流動的であぶなっかしいものだと思いました。香山リカは、中村うさぎの小説を引用して、「手に入れたとたんゴミになる」とも書いています。これは苫米地氏の言う、芥川龍之介の「芋粥」のテーマでもあります。

それどころか、「夢」は自分が夢と信じて疑わなかったことが、自分ではなく「他人の煩悩」である場合がほとんどです。「夢」と思っていたことの多くが、他人を見て「うらやましい」と思うこと、つまり単なる「妬み」である場合も多かったりします。

「他人の煩悩」から解放されるて初めて、「穏やかで『生かされている自分』に感謝することができる人生」を送ることができるのだと思いました。
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by hito2653 | 2013-02-17 15:49 | 読書
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「しがみつかない生き方」 第6章「仕事に夢をもとめない」より 

半日診察室で外来診療をしていると、2,3回はこんな言葉に出合うことになる。

「私は、どうして生まれてきたか意味がわかりません」
「私なんて生きている価値もありません」

うつ病などで病的に気持ちが落ち込み、むなしさや絶望感に陥っているあまり、そう口にする人もいる。そういう場合は、その発言そのものでなく、それを生んだ気持ちの方に「そうですか。ずいぶんおつらいんですね」と共感を寄せる。002.gif

しかし、ついこんなことを言ってしまうこともある。
「生まれたり生きたりするのに、なにか意味か価値なんて必要なんですか」

すると多くの患者さんは、驚いたような顔をして言い返す。005.gif
「意味がないのにただ生きている、なんて・・。そんなつまらない生き方、考えたこともないですよ」と。

この人は議論に耐えられるエネルギーがある、と思った場合には、さらに私は付け加える。
「そうですかね。じゃ、あなたから見て、この人なら生まれた意味がある、生まれた価値がある、と思えるのはどんな人ですか」035.gif

シングルの女性なら多くの場合はこうだ。
「それは、結婚して夫に必要とされ、子どもに必要とされている女性ですよ。母親ほど価値のある生き方ってないじゃないですか」

男性の場合は「母親」のかわりに意味や価値のある存在として「社会的に大切な仕事をしている」だとか「会社を経営している」とか「クリエイティブで自分らしく仕事をしている」という人があげられる。

また、「何のために働いているのかわかりません」という人も「生きることに意味を求める」のと同様、「働くこと」になにかの価値や意味を求めている。

生きること、と働くこと、について考えたい。
人はなんのために働くのだろうか。お金を手に入れ、衣食住を充実させるためか。しかし、新約聖書には「人はパンのみに生きるにあらず」とあるところを見ると、仕事をしてお金が手に入ったとしても豊かさはもっと別のところにあるようだ。
インターネットには「食べるために働くのは、もうやめにしませんか。今日からあなたは、本当に好きなことをして、豊かな生活を手に入れるのです」といったフレーズがあふれかえっている。
“パン以外”の働く意味がいよいよ明らかにされたか、と期して先を読むと、そのほとんどが「在宅ビジネスのノウハウ伝授」というやや怪しげなビジネス広告であることがわかる。

では、「仕方なくやるのではない、本当にやりたい仕事、ほんとうに意味のある人生」とはそう簡単にわかるのだろうか。
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他方、診察室には、このような人もたくさんくる。042.gif
「不妊治療を受けているときは、本当にやりたいのは母親になること、と信じて疑わなかったのですが、いざ子どもが生まれてみると、仕事で充実している友達がうらやましくて」

「業界でナンバーワンになるのがずっと夢だったんです。でも、それが実現できても、思ったほどの達成感はありませんでした。もっとランクが下でも、楽しそうに働いている後輩を見ると、そっちが真っ当だったかも、と思うとむなしくなりました。」


「夢」のために、生きる「意味」のために、まじめに突き進んできた人たちだ。

しかし、「これだ」と確信していたはずでも、人間の気持ちなど体調が悪かったり、ふと他人を見たりするだけで、簡単に変わってしまうものなのだ。039.gif

精神分析学者の「ジャックラカン」は「(自分の)無意識とは他者の欲望である」と言ったが、心の奥の奥、無意識が抱いている夢の多くは自分の意識ではなく他人の欲望を自分の欲望と信じているものが大半である。深層心理の中にある夢の中には「不老不死」などそもそも実現が不可能なものもあり、中には実現しない方が自分や回りのためによい、というものもある。005.gif

このように、精神医学的には、夢は手放しに礼賛するべきものではなく、かなり厄介な存在だ。だから「私は自分の本当の夢を実現できるような仕事をしたいんです」などと安易に言うのは、精神科医から見たらとても危なっかしいことだ。
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「人はパンのために働いている」
さらに「夢を仕事に」といった言い方が問題なのは、「夢とは違う仕事なら、働く意味がない」と思って仕事から遠ざかる人が増えることにある。
就職活動になかなか取りかからない学生、転職を繰り返す若者。
そういった人と話しているとすぐに出てくるのが、「本当にやりたいことが見つからないので」という言葉だ。

まじめな彼らは、「本当に好きなことを仕事にしなさい。仕事で夢を追いかけなさい」といった大人たちからのメッセージを律儀に信じるあまり、「夢や好きなことが見定まらない限り、働いてはいけないのだ」と思い込んでいる。
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私が大学を出て働いたのはひとえに「パンのため」であった。大学卒業と同時に仕送りは一切止める、と親に言われてとにかくすぐ報酬がもらえるようにしなければ、と思ったのだ。
“パンのため”であれば仕事に身が入らないかと言うと、それは違った。
この仕事を失った今月から暮らせないと思うと、かえってそれなりに真剣になる。また、仕事そのものが「本当に好きなこと」とは違ったとしても、その中である程度長くやっていると、だんだんと技術が身についていき、周りからも認められたり頼りにされたり、と別の喜びを味わえる。しかもちょっとうまくいかなくても、「これはしょせん本当に好きな仕事じゃないんだから」という逃げ道があるので、激しく落ち込まずにすむこともある。
仕事と適度な距離感を保つことで、燃え尽きずに長く続けることができる。

私はある時点から自己実現ではなく“パンのため”の仕事だからこそ私はこうして続けていられる、と思うようになった。

もちろん、自分は仕事をとおして自己実現できている、と思っている人はあえてそれを自分で否定する必要はない。ただ、「好きなことを仕事にしていない」「仕事で夢を追いかけていない」という人も、自己嫌悪に陥ったり仕事をやめたりする必要はないのだ。「私は何のために働いているのか」と深く意味をつきつめないほうがよい。

どうしても意味がほしければ、「生きるため、パンのために働いている」で十分なのではないだろうか。056.gif056.gif056.gif

人はパンのみにて生きるにあらず。しかし、パンなしでは愛の実現も夢の実現も不可能なのもまた事実だ。パンだけのためにどうしても嫌いな仕事に就くことを強いられたり、雇用者に搾取され続けたりするのも問題だが、深い意味がなくても仕事をしつづけることに意味があるのではないかと思うのである。
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by hito2653 | 2013-02-17 15:09 | 読書
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「しがみつかない生き方」(香山リカ) 第三章「すぐに白黒つけない」より

2008年10月、ネットニュース「ゲンダイネット」に「タトゥーを消したがる女たち」と題された記事が掲載された。
ネットではこれに対して「消すくらいなら最初から入れんなよ」「先のことを考える頭がないからこうなる」などと手厳しいコメントが寄せられた。
しかし、こういったコメントを書き込んでいる人の多くが10代から30代の若者層だとすれば、やや不思議な印象も受ける

なぜなら、衝動的に行動する若者に対して「自分や自分の心を大切にして行動しなさい」とか「とくにからだは一生使うものだから慎重に考えて」と戒める言い方は昔からあるものであり、かつてはこういった忠告を大人する大人側が批判や嘲笑の対象となっていたはずだからだ。

「人間の狭量化が加速した」

「自分がやったことは自分で責任を取れ」というのはいわゆる「大人の発言」だ。だからと言ってタトゥーを消したがる女性に厳しいコメントを寄せる最近の若者が10年前の若者に比べて人間的に成熟しているとも私には思えない
時代の流れが、人々の心にどのような変化をもたらした、と言えるか。
あえてひとことで言うとすれば、「人間の狭量化が進んだ」となるのではないか。
いつ自分が格差社会の犠牲者になるかわからない。少しでも自分と違う人間は排除しておくに越したことはない
また競争社会になる中で、ちょっとでも弱い人は自分と違う人のために立ち止まっては、自分が蹴落とされて“負け組”になってしまう可能性がある。
だからなるべく他者のことなど考えずに、自分の安心、安全、進歩成長のことだけ考えて生きるしかない・・・
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瞬間に「永遠」を感じてタトゥーを彫って、後で消したいと考えるに至った女性に対し世間は
「自己責任でやったのだから今さら泣きごとをいうな」
とシビアな目を向ける。
しかし、彼ら自身が刹那主義を脱して、より長い目で自分や社会を見られるようになったかと言うとそれは違う。
逆に彼らは寛容さを失い、さらに狭い視野でしかものごとをとらえられなくなっているからこそ、自分とは少しでも違う行動をする人たちのこころを想像し、理解することができなくなっているのではないか。

目の前の相手が異物かどうか、白か黒かを瞬間的に判断しなければ、自分自身が危険にさらされたり、競争に負けたりするかもしれない、という危機感が、彼らに一見“長い目”でものごとを見ているかのような態度を取らせているだけなのである。

「敗者を断罪してかりそめの安堵を得る人たち」

そう考えると、瞬間主義はますます進んでおり、しかも一瞬の勝ち負けのみを問題とする人たちが増えているという意味では、次第にそれは“悪しき瞬間主義”の様相を呈しつつあるように思われる。
ある意味では時間を凍結し、人々に「あいつらも負け」「こっちは危険」の“負けシール”を貼っていく。そんなゲームが活発になっている印象だ。

優劣や勝ち負け、危険とそうでないものを決めることでしか、自分を守り安心させることができない、というゲームを繰り返すと、その先には何が起こるか。
おそらくある人は、ゲームに疲弊し、その時点で倒れてうつ病などの心の病に陥るだろう。また、ついに自分が「負け」のシールを貼られる日がやってきて、生きる希望を根こそぎ奪われることもあると思う。

さらには、その時点で自暴自棄となり、「どうせダメなら」と他者を巻き添えにした反社会的行動に走る人がでてきても不思議ではない。

「まあいまのところはそう思っているのだけれど、もうちょっと様子を見ないとなんとも言えないね」
といったあいまいさを認めるゆとりが、社会にも人々にも必要なのではないだろうか。
そしてこの「あいまいな様子を見る」という視線はまた、自分と違う考え方、生き方をしている人を排除せずに受け入れるゆとりにも、どこかでつながるものだと思われる。

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<以下、私の感想です>016.gif
タトゥーに対する若者のコメントを例にとり「すぐに白黒つける」「人間の狭量化」について、若干、極端にとらえすぎている面はあるかもしれないけれど、なるほどなー、と思った。005.gif

タトゥーだけではない。027.gif
ネットスラングで「DQN」っていう言葉があるけど、Wikipediaにも載っていて、
「ヤンキー(不良)など、粗暴そうな風貌をしている者や実際に粗暴な者、また非常識で知識や知能が乏しい者」と定義されている。
つまり、蔑視とともに“負け組”のレッテルを貼っているのだ。

また、この本の発刊時にはあまり話題にはあがっていなかったフジテレビデモに見られるような「ネトウヨ」も「敗者を断罪してかりそめの安堵を得る人たち」そのものだと思う。

その他、オタク、ニート、新興宗教批判など、「異質なものは排除」、「そっちは負け組!」と断罪し、他者を批判し排除することでしか自己確認できない幼稚さが日本社会に蔓延し、人々の心を疲弊させている。

それが、うつ病を生み、日本の生産性を低くしているのなら、「人に対し寛容に」というのは単なる道徳的観点からのみ言えることではない。

「そんなにイチイチカッカして疲れない?」というエヴァンゲリオンのシンジ君の言葉はある意味名言だと思う。
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by hito2653 | 2013-02-17 13:11 | 読書
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香山リカさんの代表的な著作で結構前の本ですが、今更ながらbookoffで購入。(100円!)

2009年発刊とちょっと前の本なのですが、香山節が炸裂。
「勝間和代を目指さない」の帯でも話題になった本です。

当時は空前のカツマーブーム。しかも、ちょうどうつ病が社会問題化し出した頃なので、読者に鮮烈な印象を与えたことでしょう。070.gif

本書の中には、「お金のために書きたくないような本は書きたくない」とも書いていて、「本は売れてナンボ」の持論をもつ勝間さんにケンカ売ってるような感じです。(笑)実際に終章は「<勝間和代>を目指さない」で締めくくられています。

香山リカの本は、これ以外の本は色々読んで、共感を得たりしたのですが、香山リカが売れるようになった「原点」ともいえるこの本では、私は半分共感、半分「うーん」という感じでした。009.gif

人の心やモノの考え方を「ドライ」に分析していますが、
「そうは言っても生きていくのに叶わない『夢』も必要でしょう?」とか思ってしまうし、
唯物的な考え方に対し、私のようにスピリチュアル好きで「因果応報」とか目に見えないものの力を信じる人には、ドライすぎて、
「逆に生きるのが楽しくなくなるんじゃ」なんて思ってしまったりもします。

とは言え、分かりやすくいいこともいっぱい書いていました。
またいつものように紹介したいと思いますねン。056.gif056.gif
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by hito2653 | 2013-02-17 12:28 | 読書
まるき製パン所については、以前ブログでも写真なしで紹介していたのですが、

「私も大好き」012.gif
「毎日食べたい味」
「テレビで見たことがある、場所どこ?」
と大変反響があったので、もう一度紹介しておきます。

私もすごく好きになったので、今日私の大切な友達が東京から来るので、お土産に、と思って買ってきました。

場所は「下京区松原通堀川西入ル」で商店街の中にあるのに、よく前に車が止まっていて、車でわざわざ買いに来ている人もたくさんいます。

でも、お店自体はすごく素朴なお店なので、以前お店の前にベンツが停まっていてすごくミスマッチな感じがしました(笑)
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▲お客さんがいたので真正面からは撮れませんでしたがこんなお店。
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素朴なパンが多いのですが、懐かしくて毎日でも食べたくなる味。
前に買った塩パンがすっごくおいしかったので今日も買おうかと思ったら、塩パンは売り切れでした。

味つけパンっていうのがあって、それは100円。なんにものっていないシンプルなパンです。なんの「味」?と思って食べたけれど、単なる「パン」の味。コッペパンみたいな感じですが、なんにもつけなくても「味」がして、それがすごく美味しいのです。072.gif

美味しいし、お店の雰囲気もなんか「ほっと」する。056.gif
デパートの地下にあるパン屋さんのような華やかさはありませんが、毎日でも食べたいな、って私も思いました。


さて、もうひとつのおススメのお店は、ちょっとディープな(?)居酒屋です。
お店の名前は「ことのは」 場所は「下京区西洞院綾小路西入る」
席数は7席しかなくて、大将が一人でやっているお店。
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大将の人がよくて、お酒と料理もおいしいので、いつも常連さんでにぎわっています。
一人でふらっと入った一見さんもいたりして、なんともいえないほんわかした雰囲気。

人生経験豊かで聞き上手な大将になんでも話をするお客さんもいると思います。012.gif

お料理も小さなお店(失礼)なのに、ドラえもんのポケットのように結構品数があります。
日本酒もお酒好きの大将が自らの舌で色々吟味して仕入れているものなので、値段は安くてもおいしいものが多いです。

先日、お店に「ぐるなび」のシールが貼ってあったので、「まさか」と思って大将に聞くと、お客さんのススメで載せたそうです。何から何までお客さんがやってくれたみたいで大将に聞いたら、「オレ見たことない。ていうかパソコン持ってないし見方もわからんし。」って言ってた(笑)

「そんなん載せるん、おカネかかるんと違いますか?」と聞くと、「最初にいくらか払った気がするけど忘れた」やってさー。商売っ気がないのか、気楽なもんやわ(^^)

↓ ぐるなびのリンクです。
ぐるなび 「ことのは」

運がよければ、釣好きの大将がつってきた新鮮なお魚も食べられます。
みんなに「仕入タダやーー041.gif」とからかわれたりしていますが。

会社帰りのサラリーマン、OL、カップル、年配の人も多いです。005.gif

気が付けば、周りは新しい飲食店だらけになりましたが、こういうお店がずっと残っていって、近くに働く人や住む人の心のオアシスになっていくんでしょうね。056.gif
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