私が、中小企業大学校(東京)へ長期研修(21.12-22.7)へ行っている間に、京都府向日市が町おこしとして「激辛ストリート」というのやりだしたそうな。母が大学校から帰ってくるなり、また向日市行ってみたらーなんて言ってました。母は辛い物が苦手なので親子では行かず。

で、思いつきで友人と行ってみることにしました。
でも、「ストリート」っていいながら、「激辛」が食べられるお店は点在していてまとまっておらず。
よーわからんままに、フツーの街をフツーに周遊した感じ?

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イキナリ食べたのはハバネロアイス。そしてハバネロクッキー。

その後も、激辛豆腐ドーナツ、激辛まんじゅうを次々と口にし・・あえて「ごはん」的なものでなくスイーツばかりに手を出した。・・・これがまずかった・・。

調子にのって口にポイポイ。寒空の中汗がでた。と思えば、今度はその汗は冷や汗に変わった。
強烈な腹痛。
漫画喫茶に駆け込み。。。汚い・・・ですがしばらくの間、トイレから出てきませんでした。その後、漫喫でグッタリ。

私だけでなく、一緒に行ったメンバー全員がこんな感じだったので、わざわざ観光気分で行って、阿鼻叫喚の苦しみを味わうとは・・ろくなもんじゃないです。「町おこし」もいいけれど、もっと健康的なものに考えた方がいいんでわ、なんて思いました・・。
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20日は書道教室の新年会でした。
仕事が早く終わったので、遅れての参加でしたが、今年は参加できた。

ビンゴゲームをやって、商品が「風呂敷」に包んだ「かねいち」さんの蜂蜜でした。
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かねいちさんは、ラクエの地下にもある蜂蜜屋さんですが、この「風呂敷」×「蜂蜜」っていうビジネスモデル、誰が考えたんでしょうね。もらってうれしいし、風呂敷は再利用できるし、お土産としてみんな大喜び。

私は柚子蜂蜜ドリンクが当たりましたよ。
最初、風呂敷に包まれている形を見て「お酒かな」て期待しましたが(笑)カラダによさそうです。

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今年の7月、京都市美術館で書道展に出品できるかもしれません。
まだ、出品するかどうかは未定ですが、久しぶりの書道展なのでチャレンジしようかな。

そのときには、自分の着物を着たいなーー、なんて。
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最近は、カレーもいいけど「蕎麦」もいいね、ということで蕎麦めぐりをしている私です。
前にも書きましたが、カレー・ラーメンとかは食欲そそるし、個性があるから楽しいけれど、蕎麦はどんな体調のときにも胃にすっと入ってくるし、飽きがこないのがイイですね。

京都の美味しいお蕎麦屋さんを調べていたら、「味禅」の名が。
聞いたことないぞーー?と思ったら、超近くではないデスカ!
オスカーはんが昔習っていたピアノの先生のお宅から数歩離れたところ。あれ?こんなところあったかなーと思ったら、2007年3月に移転してきたみたいです。それでも4年経っていますが。

石のアーチが印象的ですが、何屋さんか分からなかった・・。

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ここのオススメは蕎麦粥とざる蕎麦のセット。
蕎麦粥は、蕎麦が「ごはん」の役割をしているのではなくて、ご飯は雑穀。蕎麦の香りが豊かなお粥です。
セットで1360円。安くはないけれど、美味しいし、店内の雰囲気も悪くないです。
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中は常連さんが多く、お酒の種類も多いので、休日の昼間に「蕎麦飲み」している常連さんが多かったです。一人で蕎麦飲みしている常連のおばさんが、店員さんとコミュニケーションをとっているところを見るとなんともオツな感じがしました。
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1月20日(金)は母校で中小企業支援のお仕事について簡単な講演をしました。

あれ、今出川キャンパスの横は工事をしてる・・。
後で聞くと「グローバル・コミュニケーション学部」のキャンパスだとか。
?????
なんでも昨年4月にできたばかりの学部だとか。最近の大学はどんどん斬新な学部ができますね。
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講演場所が新町キャンパスと言われていましたが・・。
ナニコレ!めっちゃ綺麗になってるやん。

私が現役のとき、新町キャンパスといえば、3,4年次生の語学の校舎で、
そこは1,2回生の田辺キャンパスのときに語学の単位を取れなかった人が行く、いわゆる「都(今出川キャンパス)落ち」のキャンパスだったのですが・・・
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今は、社会学部で使われているキャンパスになっているようで、改築され、場所も拡張されたため広くてめちゃ綺麗になっていました。トイレもホテル並みの綺麗さ。


教室の雰囲気はこんな感じ。一限目9:00からだったけど、さすが学生さん?
仕事ではないからね。みんな来るのギリギリだわ(笑)
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対象年次が3回生だから、昨年12月に就職協定が解禁され、今就活の真っ只中なんですよね。
だから、授業にこれない人が多いのかも。リクスー姿の学生さんもチラホラいました。


大学院生のTA(Teaching Assistant :先生のお手伝い)の人にパワポや資料のお世話を頂き、緊張しながらも、なんとか講演を終えることができました。

多分大学生に中小企業金融の話をしても、分からないだろうから
「みなさんが、就活をせず、カフェを開業したいとき、どうやってお金を借りますか?」
という感じで話を切り出しました。

最近の学生さん、すごく真面目なんですよね。005.gif
私のときは、寝てたり私語したりする人はほとんどいないし、割と真剣に聞いてくれていました。

ただ、質疑応答で積極的に質問する人もあまりいなくて。(´・_・`)

マナーが悪い人がいないかわりに、(いい意味で)ぶっ飛んだ人もいない感じ・・。
そんな話を終わってから人事の人に話していたら、これは最近の学生さんの傾向だとか。

最近の学生さんは、「いい時代」を知らないので危機感をもっている。それゆえ勉強熱心で頭もよくて真面目。だけど、あえて目立つようなことをしたくない、積極的に踏み込んでいって(ある種の)リスクを取りたくない、年々そういう傾向がみられるそうです。

なんとなく、均質化傾向という感じがしてさびしい気がしないでもないですが、実際は奥で「ものすごい力」を秘めていて、頭のいい子達だと思うので、こういう若い後輩達が能力を発揮し、イキイキ働けるように、そして私自身もこういう子達に負けないようにがんばらなきゃいけないなー、と思いました。(●´-`●)

まとまりがないですが、オスカーさんの先生デビュー?の日記でした。
うーん。もっとプレゼン力が欲しい。真面目でおとなしい学生さんたちを輝かせるよーなプレゼンがしたかったなあー(´・ω・`)ショボーン
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着物を自分用に作ろうとしている。

いや、まだ決まったわけでないんやけど、こうやって公言でもしないと「うやむや」になってしまうからね。

理由は、「自分で着られるようになりたいから」006.gif
一応、茶道も続けてるし、着る機会は少なくとも年に何度かある。

毎回美容室とか人に着せてもらうと、金銭的に大変だし、結局美容室にいくための準備とかも手間だったりするんだよなー。040.gif

自分で着られるようになりたいからと「仕立てる」がどうつながるって?

実は家はお母さん用に仕立てた着物がいっぱいあるんだけど、母は私より身長が10センチ以上低くて、着丈が合わない。だから結局母の着物やったらプロにしか着せてもらえないの。(´・ω・`)
それに自分で作った着物だったら、着付けを習うモチベーションも上がるでしょ!

そんなことを母に言っていたら、
「やめときよし。あんたには自分で着られへん。特に帯が難しい。いいやん、お母さんの着物たくさんあるんやし、美容室で着せてもろたら。それに、結婚の予定がない人が今着物作ってもしゃあないやろ?」
と言われ、
頭にきた私は「ほんなら自分で探して作るし!( ゚Д゚)」とか言っていたら・・・・

意外にも母から、
「おじいちゃんの代のときからの50年来の付き合いの呉服屋さんがやはってな、娘が着物作りたがってるみたいで、もしお世話になるときがあったらお安くしといてください、て言うといたからね」
と言われた。なんだか、着物、が急に現実味を帯びてきた。005.gif

実は着物を作るにはもう一つの理由がある

先日、「ものつくりの現場」を見るという研修で京都の友禅染等の製造現場を見せて頂いたことがあった。

とりあえず、「ほんまの手仕事」っていうことと、技術の高さが伝わってきたが、一方で業界の厳しい現実も知った。
「ここ20年くらいで、仕事の減り方は10分の1?いやもっとかもしれませんな。先生と崇められている友禅作家でさえも『食えへん』言うてる時代ですわ」


なんだか身につまされる・・・

(ついでに言うと、流通経路複雑すぎ!診断士の実習とかで業界分析試みたらぶっ倒れると思います。さらに、工程もあまりにも多く手仕事すぎ。作業改善とかの余地はあるかもしれません。)

着物着る機会がある、数少ない若い世代の私が少しでも京都の繊維産業に貢献しようかと。
でも、古着はだめね。
ブックオフの本では作家が儲からないのと一緒で今いる職人さんが潤わないから。
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地元の友人に教えてもらったお店!
焼肉屋さんです。

「高くておいしいお店はいっぱいあるけど、ここはまず、美味しい。そして・・・やっすいねん」
「タンが出てきたとき衝撃やったな。分厚いしやわらかいし。あの食べごたえ、満足感ときたら。( ´∀`)

そーーんな話をしていたら、、、またミーハー(=お父さん)の食指が動いたみたいでございます。
「焼肉?おいしい?安い?ほな、行こうか?」両親と私の3名で行くことに。

ただし、友人も言っていましたが・
「ちょっと不便やねんな。車でないといけへんねん。場所も最初はちょっとわかりにくかも」
てなことで、車で行きましたが、四条通りをずっと西に。天神川四条を越え、梅津段町交差点を越え、「キムチのほし山」さんが見えたら川沿いに左折してすぐです。
(※キムチ屋さんと焼肉屋さんの経営者はまったく別)
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「分かりにくい」と友人が強調していましたが、思ったより大きなお店で店内も広々。
気のいいお父さんとお母さんがご夫婦でやっていらっしゃる、
思ったより大きなお店で、店のすぐ脇に専用駐車場もあり、車さえあれば割と簡単に行ける場所でした。
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▼確かにタンは分厚い。噛みごたえ、食べごたえありだーーー ━━(゚∀゚)━
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▼確かに値段もリーズナブル。一人前で結構量あります。
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とにもかくにも!単品も量多い。ビビンバも一人1個たのむとえらいことになります。優に2人前はあるような。これ850円。写真ないけど、チゲ鍋も3名で十分分けて食べられる量あります。(( ´∀`)
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柔らかいお肉と、フルーティーで美味しいタレ。後で1人前追加注文しちゃいました。
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ウーロン茶が「サービス=無料」と書かれていましたが、ノンアルコールビールを飲み終わったお父さんに、お店の奥さんが「お父さんにもウーロン茶お入れしますね」と向こうから勧めてくださいました。

帰り際には、あたたかいウーロン茶を入れて下さいました。\(*^▽^*)/
会計は3名で、1万円で、お釣りがきましたよ。人(^◇^)

なんだか、美味しくてあたたかくて、お安くて。こんどまた誰か誘って行ってみようと思います:☆'.・*.・:★'.・
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先輩からの薦められて買った本。
や~っと読み終わりましたよ。分厚い本かって?いや、たったの160ページ(笑)

独特の文体で内容も深いので読むのに骨が折れました。
でも、amazonではすごい高い評価。

「車輪の下」以上にヘッセの作風が出ており、「自己実現」をテーマにした芸術作品とも。
私は、「お釈迦様の話」と思って読み始めましたが、どうやら違うようで、シッダールダという一人の人間を通して文学・哲学を描いた芸術作品。

※amazonレヴューでも次のように書かれています。私も途中で気づきました。
(釈迦の本名はゴータマ・シッダールタですが、この本は釈迦の伝記ではありません。本書の主人公であるシッダールタは、バラモンの子という設定であり、ある日、親友のゴーヴィンダと共に沙門となります。そして、仏陀(目覚めた人)として尊崇をあつめるゴータマの弟子となります。


最初の読みづらさも、最後に親友ゴーヴィンダと再会するシーンを読んで、「読んでよかったなー」012.gif
と思いました。

シッダルーダは、難行苦行に励む仲間や、説法を説く師に、こともあろうか疑念を抱きます。
「難行苦行に励むことも、金や酒、女など享楽に浸るものも、結局自我から逃げているとう意味では一緒ではないか?」と。

その後、実際遊女のカマーラと子をもうけたり、商人カーマスワーミと金を儲けたりします。
ここで、「なんちゅう生臭坊主や(゜Д゜)」と思ってしまいましたが・・・。

結局、美しいカマーラは死に、カマーラとの間にできた息子は不良化し、荒れ果てた挙句、金を持って出て行ってしまいます。。・゚・(ノД`)・゚・。

シッダルーダは俗人の喜びや苦しみを知ることになります。
そこで、シッダルーダは、説法では得られない真理を知ることになります。

シッダルーダとゴーヴィンダの会話の一部です。
「美しい遊女が長い間私の師だった。富裕な商人が、そして数人の賭博者が師だった。あるときは遍歴の仏弟子も私の師だった。」
「冗談をいわれるのか」
「冗談を言いはしない。私は自分の発見したことを言っているのだ。知識は伝えることができるが、知恵は伝えることはできない。知恵は見出すことができる。知恵を生きることができる。知恵に支えられることはできる。知恵で奇跡を行うことはできる。が、知恵を語り教えることはできない」


シッダールダは、涅槃も輪廻も徳も、さらに自分自身も幻想に過ぎないといいます。

シッダルーダは遊女のカマーラさえも「師」といっていますが、私は本を通して美女カマーラの言葉が一番印象に残っています。

「シッダールダよ、こういうこともおぼえてらっしゃい。愛は、哀願して得ることも、お金で買うこともできるでしょうけれども、奪い取ることはできません。その点であなたの思いついた方法はまちがっています。」

文章が詩的で難解ですが、高く評価される文学作品です。ぜひチャレンジされてみてはいかがでしょうか。
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by hito2653 | 2012-01-10 18:23 | 読書
「怒らない」系の本が売れている本当の理由

ZIPという朝の番組にはベストセラーを寸劇で紹介するベストセラーSHOWというコーナーがある。先日、このコーナーで温水洋一がやっていたのは「『しつこい怒り』が消えてなくなる本(すばる舎)」
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そういえば、先日書店で「怒らない技術(フォレスト新書)」という本がベストセラーの棚に飾られていたこともある。ほかにも「「怒り」のマネジメント術 できる人ほどイライラしない (朝日新書)」とか、売れている本に「怒らない」カテゴリってものがあることに気付いた。
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さて、なぜ「怒らない」系の本が最近売れているのか。

確かに、さまざまな自己啓発本では、「怒り」は感情のエネルギーの無駄遣いだし、感情の負のスパイラルになる、とか運気を下げるとか、自分にとってあまりよくないことが書かれている。

しかし、本当の理由は、
「怒る」という感情に対する「リスクが増大した」
からではないかと考える。

ここでいうリスクとは
・怒っている人が「アホ」っぽく見えてしまうリスク
・そういうお前はどうなんだ?と思われるリスク
・怒ることが「パワハラ」などの加害者につながってしまうリスク

である。

斉藤孝の「上機嫌の作法」という本の中には、「かつては『怒っている人』は問題意識が高く知的なイメージがあった。しかし、最近は『不機嫌な馬鹿』が増えている」書かれていた。( ゚Д゚)
つまり、「怒り」の感情について、周りの共感を得たり、「この人は頭がいいから怒っているんだ」と思われないと、ただの「アホ」に見えるということである。

「怒り」の感情は、共感を得て賢そうに見えるか、逆に「アホ」に見えるか、でハイリスクハイリターンの感情と言えるかもしれない。

例えばテレビの討論で感情的に「怒っている」政治家は、かつては「怒れる弁士」と尊敬されたかもしれないが、最近の傾向ではよほどカリスマのある人でないと、視聴者は冷ややかな視線で見る向きが強い。
またお笑い番組では芸人をわざと怒らせたりして、「怒っている」芸人が馬鹿にされて笑われるという場面がよく見られるようになった。(;´Д`)

また、「怒っている人」はよほどちゃんとした人じゃないと、「そう言うお前はどうなんだ」と自分の方に牙が向かれるリスクもある。
「同僚の整理整頓が出来ていない」と怒る人、「同僚の仕事が遅い」と怒る人。
「そう言うお前はどうなんだ(´<_`  )」、・・・・・・と直接言う人は少ないかもしれないが、いつ切り替えされてもおかしくない。よほど自信がない限りが怒ってはいけない、ということになる。

そして、最後は「パワハラ」の問題。
昨今、メンヘル患者が職場内で全国的に増えている。
怒りの感情に任せて、部下や後輩を叱りつければ、それこそパワハラの加害者になってしまうリスクがあるのだ。

他方、こうして「怒りの感情」をひとくくりにしたが、「怒りの感情」にはある種の「理不尽さ」をともなうものである。
先日ブログにも書いた尾崎豊は、「大人たちの矛盾」について、怒れる若者として多くの共感を得た。
ただし、その「理不尽さ」の原因がどこにあるのかを考えてみるのが、感情の整理につながる。

例えば、月末など、死ぬほど並んでいるATMでゆっくり財布を出して、とろとろ操作をするおばさん。
並んでいる間に財布を出しておけよ!と言いたくなる。理不尽の原因はおばさんにある。

しかし、自分がそういうおばさんもいない中、「時間がないのに、なんでこんな混んでるんだ」とイライラしている自分がいたら、時間がないのに月末にATMが混んでいると想定しなかった自分が悪いと言える。理不尽さの原因は自分にあるのだ。

「怒っている」自分がいれば、まず「理不尽さ」の原因がどこにあるかを考える。

理不尽さの原因を外に求める前に、自分自身に理不尽さがないのか考えてみる。
それが単なる自分自身の体調とか準備不足とか、相手に対する嫉妬心なら、一息つくか、精神的な休息をとってみるのがいいだろう。

本当の理不尽さ、なら発散し、改善に向かうよう感情のエネルギーにすればいいが、「怒りの感情」のリスクを恐れて、人はなかなかそれをしない。
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by hito2653 | 2012-01-09 12:08 | 読書
昨年末の忘年会、地元中学の同級生と盛り上がるのは、やはり地元話。
中でも、飲食店の話は話題に事欠かない。

「あそこのラーメン屋は不機嫌なばあさんがいつも店番してて、クソうまいときとクソまずい時があるねん。水がどこにあるかを知るのに半年かかった(笑)」

「その焼肉屋のウマさは絶対京都で一番やな。知らん人多いけども。小さいお店やし、交通の便も悪いけど、初めてタン食べたときは衝撃やったわ。分厚くてやわらかくて、あんなん初めてやった」


こういう話を聞くと行ってみたくなる。全てが好評でない店も、行ってみると次にみんなで会ったときの話のネタにもなるのだ。
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しかし、最近は「あそこの店がうまい!と聞いたから行ってみる」というより、
たとえば「焼肉屋に行きたい。でもどこがいいか分からないから、まず食べログ」という流れになっている。
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年始のニュースとしてご存知の方も多いと思うのだが・・。040.gif

価格比較サイト大手「カカクコム」は5日、運営する飲食店の人気ランキングサイト「食べログ」で、順位を上げるため、好意的な口コミの投稿などを請け負う業者が昨年末までに39業者確認されたことを明らかにした。

 同社によると、サイトに登録されている飲食店から昨年1月に情報提供があり、調査した結果、これまでに複数の飲食店で業者から「10万円で好意的な口コミを書き込む」などの勧誘があったことが判明した。同社は各業者に警告文書を出して不正な投稿をやめるよう要請したが、「応じない場合は今後、法的措置も検討する」としている。(2012/1/5 読売オンライン)


なるほど。ネットの口コミも決して信用できるものではないと分かる。(`・ω・´)
中には、「好意的」とは逆で明らかにその店を貶めるかのような書き込みも見受けられる。013.gif

かく言う私も食べログのクチコミを書いている「食べロガー」の一人だ。(基本的に悪い口コミは書かない。)
でも最近はあまり書いていない。理由は、まあ、単に「面倒臭い」というのもあるが、「メリットがあまりない」から。

以前、勝間和代さんが、「見返りもないのに、自分自身の信用を担保にかけて書く(好意的な)口コミは説得力がある。、よほどファンでないと書けないことだし、こういう人を大切にしたい」
ということを言っていた。

逆に言うと、大してファンでもないのに、見返りもなく口コミを書くメリットは殆どないと言える。
なのに、これだけの口コミがあるということは、何か怪しいと思わなくてはいけない。ヽ(`Д´)ノ

今回は39社が確認された、ということだが、これは氷山の一角なんじゃないかと考える。
(((((((( ;゚Д゚)))))))ガクガクブルブルガタガタブルガタガク


私の知り合いでも食べログに「精神的に」傷つけられた人がいた。・・(・ω・` )っ/

「短い期間しか勤めていなくて、とっくに辞めた従業員の接客態度が悪いと厳しい言葉で書かれていた。もうその人はいないのに、書きコミはずっと消えない。」

「お店にね、若い夫婦が来たの。なにやらパシャパシャ撮っている様子はあったわ。
私が常連さんと昔の話をして、一度呼ばれたとき気づかなかったのが気に食わなかったみたい。食べログに『二度と来ません』って書かれてた。クレームなら直接言ってくれたらよかったのに。申し訳ない気持ちと悔しい気持ちでいっぱいになったわ」


友人は言っていた。だんだん人間関係が希薄になって、顧客同士や顧客とお店などのフェイストゥーフェイスのつながりがなくなってきているから、ネットばかりに依存してしまうのではないか?と。

ネットは匿名性が強く、信憑性の薄い書き込みも多い。
食べログやmixiのようなログインユーザーですらそうだ。
それを肝に銘じようと思ったニュースだった。

(ちなみにブログの冒頭に書いたラーメン屋さんと焼肉屋さん、どこか知りたかったら私に直接聞いてね
(´・∀・`)フェイストゥフェイス)
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by hito2653 | 2012-01-08 16:37 | 雑感。
よいしょ芸人で有名なのは、サバンナの高橋
よいしょ、ってサラリーマン言葉で、それを芸人に当てはめていると思っていたら、実は逆らしい。

よいしょとは相手をおだてて気持ちよくさせることで、当初、芸人の楽屋言葉として使われていたものが一般(特にサラリーマン)にも普及したものである。よいしょはそういった行為を意味する名詞である。動詞として使う場合はよいしょするとなる。
(日本語俗語辞典より)


・・・・・実際ビジネスの場では「よいしょ」する・される場面は多い。

大してお世話にもなっていない人に
「新年明けましておめでとうございます。いやー、昨年からお世話になっています。◎◎さんあっての当社だと思っておりますので」
なんて具合にね。

それ自体は悪いことではないと思う。よほど見え透いた「よいしょ」でない限り、普通は「よいしょ」で嫌な気持ちになる人はあまりいない。

▼ よいしょ。猫さんはストーブの上がすき。
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香山リカも
「世の中には本音と建前、矛盾があることを認めて、自分の中の二面性や矛盾をコントロールするのが大人の条件である」と言っている。

しかし、ここでオススメしたいのは、そういうビジネスとか「建前」ではなく、
気を遣わなくてもいい人に対する「よいしょ」。012.gif

テレビで心理学者の人が言っていたことだが、その人は「よいしょ」でなく「身近な人へのお世辞」という表現をしていた。

例えば親、兄弟や夫・妻、付き合いの長いカップルなど、身近な存在になればなるほど、その扱いがどうしても「雑」になりがちだ。それは、気を遣っていない証拠、といい風にとられられるかもしれないが、どんな間柄においても人間は相手から「褒められたい」し、ちょっとした気遣いにうれしく感じたりするものだ。

そんな、気を遣わなくてもいい相手にあえて「お世辞」を言って「よいしょ」してみる。
「髪型、かわいいんじゃないの?」とか、
「その服似合ってるね」とか
「頭の回転速いね」とか。

それが、仮に本当の「お世辞」だったとしても、親しい間柄だとかえって「本気」に聞こえ、相手はすごく気分がよくなるというのだ。そうして、身近な人の機嫌がいいと、そのハネカエリがすぐに自分へもやってきて、自分にもいい影響が及ぼされるというわけ。実際は照れくさくてなかなかできないんだけどね。

あと、「よいしょ」とは違うけれど、
「親しき仲にも礼儀あり」という言葉も、ここでのキーワードだ。
普段は自分を「評価」しない立場の人たちへ、礼をわきまえることが自らの本当の信用につながる、という。
(礼、というほどではないけれど、例えば「あいさつ」をちゃんとする、とか「お礼」や「返事」はすぐする、とか)
親しき仲だからこそ、ちゃんとしておくとその見返り(?)も大きいものだ。
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