2011年もあと1時間をきりました。
家族とテレビを見ていましたが、飽きてきたのでブログを更新。

・・・・今日はネット上に文章を書いたのは何回目かな。
昨年もですが、年末年始はモーレツにネットで文章をアップしているような気がします。
(´ー`)y

例年12月は業務多忙で、色々書きたいことはあってもブログを書く物理的、精神的時間がなかったことから、お正月休みに一気に放出している感じかなあ。(´∀`)

こんなブログでも、たくさんの人に見て頂いていることを色んな場トコロで知らされ、驚かされることがしばしば。見てくださっている方々にまずは感謝です。

そして、今年一年最後の駄文、私の今日の一日から。
さて、暴飲暴食なうえ、家では有益なことを「なにひとつしてない」ことにさすがに罪悪感を覚え、玄関や家の前の掃除やら、仏壇の拭き掃除やらをようやく重い腰をあげてやっておりました。

その後、祖母の入居する特養へ。お正月に帰るかどうかの祖母への意思確認もかねていきました。
やはり、いつもより人が少ない感じ。祖母から言わせると、12、3人くらいは大晦日家に連れて帰られたと。

途中、「おやつ」の時間になってお餅の入った「おぜんざい」が出されました。
さすが!! お餅は寒天状で喉に詰まらせないタイプのものになっていました。毎年のように、お年寄りのお餅の事故って起こりますものね。

祖母はまだ話したそうでしたが、「いまから買い物いかなあかん。お正月またすぐ迎えにくるから」と言ってその場を後にしました。ε=┏( ・_・)┛  

その足で錦市場へ。
人が多いのが分かっているので、やめようか、どうしようかと思いながら、毎年来てるんですよね。京都の台所。案の定、人・人・人で、人ごみで怪我をした人がでてきたことから救急車まで出動するような状態に。
((((( ;゚Д゚)))))))ガクガクブルブル
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やっとのことで母から頼まれた棒鱈と、祝い海老を買いました。( ´∀`)σ

棒鱈も調理済みのものがあまりに高価なため、避けていたら、結局調理してないもので高価なものを買うことに。この混雑の中、今更他の店には戻れないし、家で自分で調理したらいいやと割り切り。市場のおばちゃんにもろたレシピを見ながら家で炊きました。実は棒鱈炊くの初チャレンジだったりする。そうこうしている間に夕飯を準備する時間になって・・・。夕食はお歳暮でもらった肉ですき焼き。

こうしてみると、ものすごく平和なお正月に思えます。
その影で年末年始も休みなく働く人たちの姿があるのですが。

年末に忘年会で久しぶりに会った友人(♂)が
「正月は嫁ぎ先から帰ってくる『イカつすぎる姉』に会うのが嫌だ」と言っていました。

お姉さんの前で、お母さんの悪口を言うたら、
「五体満足で生まれてきて、ここまで大きくしてもろてナニ生みの親に文句言うてんねんゴラ」と巻き舌で言われるそうです。^^;

普通にええお姉さんやないですか。私は上の兄弟はいませんが、自分に「ゴラ」言うて、今自分がここにいることの感謝を忘れないようにせねば、と思います。年始の目標。
そして、「年をとることを恐れない」。年齢を重ねたゆえの、円熟味がある女になれば、それはそれで素敵だし。若いだけがいいってもんじゃない。

とりとめもないですが、今年最後の日記です。

わたしを取り巻く全ての方へ。2011年はどうもありがとうございました。
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迎春、というには少し早いですが、今年も今日で終わり。初詣を予定されている方も多いのではないでしょうか。

そんな初詣について、いつしかお寺の住職さんに聞いたお話を思い出しました。

初詣、って関西WALKERとか雑誌に載るような、いわゆる「初詣スポット」のお寺や神社、毎年とてつもない人ですよね。無宗教の日本人がよーこんだけ集まったな、って思うくらいに。

私は、そういったところに行く年もありますが、基本はあまり行かないです。
なぜなら、寒いし人が多いし、風邪をもらうことが多いからです。

・・・それって怠けてるだけやん?そう思われるかもしれません。

でも言い訳めいたことを言いますと、実家のお仏壇とお墓とお墓のあるお寺に参るだけで十分だと考えているからです。

というのも、あるお寺さんのお話で、次のように言われたことが頭に残っているからです。
「初詣だといって、実家のお仏壇はほったらかして、お墓にも参らず、イの一番に縁もゆかりもない神様仏様にご利益目当てでお参りに行ったとしても、そのご利益は半減どころかほとんどないかもしれない。
ご先祖様がいなかったら、自分は存在しない。どんなに有名な神様だって、ご利益だけ目当てにきて、身近な仏さんに感謝し、大切にしない人が参りにきても喜ばないだろうし、お願いも叶えてくれないだろう」
と。

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確かに、物事には順序が大切。
身近な仏様に感謝せず、一方的なご利益目当てできて、僅かな賽銭だけ入れて、
「あー初詣、人多くて大変だった、ヨシこれで今年は安泰(´・∀・`)」
なんて言っても、あまりその願いは叶わないような気がします。(´・ω・`)

こんな、本末転倒にならないように、新年は身近な人やご先祖様への感謝から始まる一年にしたいと思います。012.gif

もちろん、お墓への初詣は行きます。
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2011年ももうすぐ終わり。
今年の漢字は「絆」。今年は色々と災害が多かったので「災」とかネガティブな漢字になるのを予想していましたが、「いい漢字」で落ち着いてよかったと思った人も多かったのではないでしょうか。

以下 ~香山リカさんの著書より~

焦って「絆」を作るのはやめましょう 040.gif

東日本大震災によって、私たちの様々な価値観が問われるようになりました。
なかでも多くの人が考えたのが「絆」についてだと思います。

聞くところによると、震災のあと、結婚相談所に登録する人が増えているとか。
婚約指輪の売上げが伸びているとの報道もありました。世間の関心が「結婚」や「家族」、それがもたらす「絆」に傾いているのは事実のようです。

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(中略)

私が提案したいのは、「結婚」などの深い絆ばかりに目をやるのではなく、「友だち」「同僚」「ご近所さん」といったもっと緩やかな関係に注目することです。

こうした人間関係は、「結婚」や「家族」にくらべれば頼りなく思えるかもしれません。
しかし育て方しだいでは、より強い絆にしていくこともできるはず。

いきなり強い絆を結ぼうとすると無理が生じやすくなります。
何年もいっしょに暮らした夫婦でも、いつの間にか関係が緩んでいる可能性があります。

それを急に締めなおそうとすると力が入りすぎて切れてしまわないともかぎりません。
あらためてゆっくり関係を深めていくことが必要なのです。些細な会話からでいいのです。地道に言葉を重ねることで関係が深まっていき、やがてそれが「絆」と呼べるものになっていくのではないでしょうか。


箱根駅伝が人気なのは「個人情報保護法のせい」?
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ご存知のとおり駅伝は日本発祥の競技です。ではなぜマラソンではなく駅伝が人気なのでしょうか。
それはやはり「一人ではないから」でしょう。足の速い学生達がただ競い合うのではなく、一本のタスキをつなぎながら、みんなの力で長い距離を完走する。個人競技にはないこの「協調」「連帯」「友情」のドラマが観る人たちの胸を熱くさせるのです。

・・・・・・私たちが日常生活のなかで、あのような強い結びつきやドラマを味わうことがないからこそ、お正月の箱根駅伝に惹きつけられるのではないかと思うのです。

年末年始の休暇が終わって職場に戻れば、同僚達との競い合いや腹の探り合いが待っている。だから、せめて正月くらいは、そういうストレスから解放されたい。

不景気がつづき、多くの会社で経費や人員、時間などあらゆるコストが削減されていますから。その影響で空気がピリピリと張り詰めている職場も多いことでしょう。

そんな状況に加えて「個人情報保護」という言葉も職場の人間関係を硬直化させています。

(中略)
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本来、会社もみんなが共通目的に向かって集まった場なのですが、それが必ずしもうまく機能していないのはお話ししたとおりです。
そんななか、駅伝のタスキのように周囲とつながる何かが必要になります。
手っ取り早くその役割を果たしてくれるのは「言葉」だと思います。
別に心をこめなくても、腹を割って話さなくてもいいのです。めんどくさいなと思っても一言挨拶をしてみる。あなたから言葉を投げかければ少しずつ会話がつながっていくでしょう。

相手は往々にして自分の思うとおりにはうごいてくれないもの。
期待せず、「なんとなくの仲間意識」が本物の絆に発展しく可能性もあるでしょう。
そうならなければ、そうならなくてもいいんじゃないですか。



「テキトー力」は香山リカさんの言葉ですが、テキトーな結論?(笑)
でも、「絆」について、すごく分かりやすく意見されていると思います。

「絆」は焦って作るものではない。
見返りを求めるものでもない。


期待せず、コツコツと。
来年は、自分の周りにある小さな「縁」に気づけるような1年にしたいです。053.gif
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大掃除をしていてたまたま、こんな本あったっけーと思うような読んだことのない本に出会いました。
恐らく父が東京出張に行った際、新幹線の中の時間を潰すために駅で買った本と思われます。

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「常識として知っておきたい日本語」柴田武(幻冬舎)
この本のなかで目をひいた言葉
「奥床しい」
「奥床しい」とは「おとなしくて品がある人」というイメージだったが、どうもそれだけではないらしい。
「奥床しい」とはもともとは、
その奥にあるものに心をひかれて、もっとその先が知りたいという意味だ。

「ゆかし」とは「行かし」で"知りたい”と思うこと。

プライベートをあからさまに語る女性は、私のような年のものは"もうそれ以上知りたくない"と思ってしまう。


以上は本に書かれていたこと。
「はねっ返り」で自分のことを割りと話す私は「奥床しい」から程遠いかもしれない。

(ついでに、この本によると、「はねっ返り」の語源は鞠やボールを壁に打って跳ね返る様子から「勢いのいいお転婆娘」のことを言う。さらに「お転婆」は「伝馬」という官公専用の馬からきているという。情報を伝達する郵政の役目を持つ馬で、多少暴れ馬であったが、大いに役に立ったという。「伝馬」に「転婆」の字が充てられ、「お転婆」となった説があるという)

しかし、ただでさえ生きづらい世の中。自分を多少さらけ出してもいいんじゃないかと思う。
その上で、「もっとその先が知りたい」と人から思われるような人間になるためには、人としての深み、そして「引き出し」が必要だろう。どんなに引き出しをさらけ出しても、その奥にもっと深い引き出しがあるような人が「奥床しい」人なのかもしれない。053.gif

たまたま見つけた本。
言葉の語源を知るのは面白い。012.gif
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by hito2653 | 2011-12-29 19:07 | 読書
ちょっと早い成人式ネタ。
いまや、「成人式30歳説」と言われるように、若者の幼児化が言われていますが・・、さすれば私にとっての成人式は今年だったことになりますな。「来年の1月」といえないところが悲しいところではありますが・・^^:

大人の条件について考えてみました。

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最近私のブログに多い、香山節から。
(近頃はカツマ節からカヤマ節になってるかも・・^^; この人も売れてる理由が分かります。面白い!)

かつての若者の反抗のシンボルとして絶大な人気を誇ったミュージシャン・尾崎豊は作品のなかで
大人たちの矛盾
を鋭く指摘し、怒りを訴えました。

しかし、彼よりちょっと年上で大人の世界に片足を突っ込んでいた私は、
「言いたいことはすごーくよく分かるけど『清濁併せ呑む』って言葉もあるよなあと感じたのを覚えています。

大人だって矛盾や怒りを感じることはあります。でもそれを外に訴える前に、まずはそれを自分の中で向き合わなくてはいけない。バイクを盗んだり、暴れたところで警察のお世話になるだけです。

世の中には本音と建前、矛盾があることを認めて、それに対して感じる怒りや反抗心を自分なりに消化できること。まず、それが大人の条件と言えるでしょう。

自分の中の二面性や矛盾を抱える人。
私の診療室にもそれを強く感じさせる人たちがやってきます。

外見はいかにも清純そうな感じなのに、心の奥に欲深い感情を隠している主婦。「平和・平等」を講演で説きながら家庭では争いが絶えない作家・・。

そういう私も自分の中の矛盾に悩んだ時期がありました。
(中略)
でも、地味に働く医者の自分もサブカル好きな自分も間違いなく「私」でした。
どっちが本当の自分なんて悩むのはバカバカしい。大切なのは、状況に応じてふさわしい自分を出せるかどうかであって、一つの自分で生きることなんてないと決めたのです。

(中略)
大人として自分の中の二面性や矛盾をコントロールしつつ、必要ならそれらを捨てて子供に戻ることができる。こうして内面を自由に行き来きできることも大人の条件かもしれません。

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当時の尾崎豊に言わせれば「そんな二枚舌みたいな生き方をしているから大人は醜いんだ」ということになるのかもしれませんが、それは「柔軟で懐が深い」ということだと私は解釈しています。
ですから、ふだんはまじめな会社員をやっていても、プライベートまで真面目である必要はないのです


(中略)
成人式で新成人たちに「大人の条件」を尋ねると、「自分で稼ぐこと」と答える人が多いものです。
けれども私は、経済的な自立よりも、こうした「心の柔軟さ」「懐の深さ」「義理と人情」といった内面の要素の方が重要だと思います。

お金はあまり稼げていないけれど、大人としての思慮を備えた人はいるものです。


自分の中の二面性と折り合うこと。
それと同時に他人の二面性を受け入れること。
懐深い大人の条件は、逆説的に尾崎豊から学ぶことができます。

自分も人も、いつもおんなじ自分、なんてないんだよ。
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先日、ブログで「社蓄のススメ」について書いた。

エラそうなことは言えないが、この本はひたすら若い間の
「守・破・離」についての大切さを問うた本だと思う。

さて、この「守・破・離」とは、仏教かなにかの言葉が語源かと思っていたらそうではないらしい。
ビジネスにもよく使われる言葉で、あるビジネス用語辞典では
「守破離とは、能楽を確立した世阿弥の教えで、最初は基本を忠実に守り、次にそれを応用、最後は型から離れるというプロの成長過程を表すもの」と書かれていた。

この成長過程っ・・・どっかで見たことがある・・・。

そう、ドラゴンボール
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悟空とクリリンが亀仙人のところへ行き、
「武道を教えて欲しい」というと、カーーッペッと一蹴されてしまう。

そして、この岩を動かしたら教えてやろう、ととてつもなくでかい岩を見せられ、いきなり武道を学ぼうとする二人をあきらめさせる。

そして、重たい亀の甲羅を着せ、牛乳配達をするなどひたすら苦しい修行をさせる。
これって今考えると「守」の部分だと思う。

師匠に言われたことを忠実に苦しい修行を行い、その後教えられずとも楽々と岩を動かしてしまうのだ。

どんなことでもそういえるかもしれない。

例えば、「書道」でも現代書が流行だが、(相田みつをのような字)あれを単なるヘタウマ文字としていきなり書こうとしても無理がある。相田みつをとて、あの書体を確立する前は手本に忠実な楷書で大いなる功績をあげている。

SAXだって、単にジャズが好きなだけで私のような俄かに始めたものがいきなりアドリブやろうとしても無理。最初は均一にごまかしのないロングトーンから始めなくてはならず、それができないとアドリブなんて絶対にできないのだ。

かくいう私は「守破離」は苦手で、すぐに我流に走ろうとしてしまう。
書道は長く習っているが、手本に忠実ではなく、うまく書けるときと書けないときにムラがあるし、文章は公の文章までブログ調と言われるし(笑)、「我流」がきかない茶道は先生に怒られてばっかりだ。

亀仙人は、ドラゴンボールの最後の方では、「強さのインフレ」のため置いてけぼりになってしまっている感がある。最近のマンガはイキナリ強い奴が多すぎやと思う。

「社蓄のススメ」なんて本を書かなくてはいけなくなった最近の若者のために、スーパーサイヤ人が増えすぎた最後の方のドラゴンボールではなく、初期のドラゴンボールを薦めてほしい。
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スタローンに学ぶ懐の深さ

先日、ハプニング集的なテレビ番組で、
スタローンが道端の浮浪者みたいな男にシュワちゃんと完全に間違われて、
「俺、ターミネーター大好きだぜ」みたいに言われ、街を歩く収録中その男に付きまとわれているシーンがあった。

それに対して、スタローンは怒りもせず・・
フッと笑って、付き人にお金らしきものを渡していた。

その男へのお礼のチップみたいなものだった。071.gif
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テレビでのコメントは
「さすが一流俳優。懐が深すぎ」
みたいなのだった。

この「懐が深い」

人からそう思われたり、言われたりするのはよほどのことだと思う。
で、この定義があってない言葉、どういう人に使うんだろうか、いつもの
「3条件」で考えてみた。

1.つまらないことで怒らない
2.義理堅い
3.気前がよい(ケチでない)

よく女が男に、上記のことを実行すると
「見栄を張ってるだけだよ」とか「いいかっこしたいだけだよ」とかいう人がいる。
でも、それは言っちゃいけないことなんじゃないかと思う。005.gif

見栄だけでも、懐の深さを「演じる」ことにも価値があるんじゃないかと考えるからだ。
ある漫画に「男の根っこはやせ我慢」という名言がある。

多くの女性は少なくともそれを演じようともしない男には魅力は感じない。
・・・・・・・・・・・って、女の私が「男を語る」みたいになってしまったが、私自身「男前」な女を目指している。

懐深い女もいいんでないかい?と思う今日この頃なのです・・・。
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社畜のススメ読了。
ちょっと、タイトルがキツい感じがしますが、至ってまともなことを書いています。
この本は、ひたすら仕事術の「守破離」を説いている本です。
「守」という生みの苦しみも味あわずに我流に走る若者に警鐘を鳴らしているのです。

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まず、ここで書かれているサラリーマン4大タブー。
・個性を大切にしろ
・自分らしく生きろ
・自分で考えろ
・会社の歯車になるな

この「歯車」って言葉、学生の就職活動時代、すごく意識した言葉ですね。
「個性」もそう。「個性を押し殺されたくない」
今思えば、社会に出る「怖さ」からの「逃げ」だったように思います。

本書で書かれていたは、社会人になってもなお耳障りよく聞こえる「会社の歯車になるな」という間違ったアドバイス。
歯車になれず、会社の悪口を吹聴し、若い社員を巻き込む社員こそがダメ社員。いちお社会人歴9年の私も納得です。

さて、下記が社畜度テスト~!
□会社の悪評や批判に接したときは、我がことのように腹が立つ
□プライベートや先約があっても、仕事が入ったらついつい優先してしまう
□家族よりも会社の人と顔を合わせている時間が長い
□会社の同僚や先輩に仕事で差をつけられたくないし、またその努力もしている
□仕事とプライベートのオンオフを明確に使い分けられない
□寝る前にふと考えることは、仕事のことが多い
□休日でも仕事関連の本や雑誌をよく読む
□社内の派閥やグループに積極的に参加している
□結婚式に呼ぶ知人は半分以上が会社関連の人だった(になるだろう)
□社是、社則などの会社の決まりごとは一字一句覚えているこれらのひとつでもチェックが入れば、社畜の素養があると言いますが・・・

私は2つを除いて、大半チェックが入ります・・。
が、それが普通なのでは?と思ってしまいました。

ワークライフバランスが叫ばれ現在、モンスター化するサラリーマンも増えている現状も垣間見れました。

ただし、何事も「バランス」が必要。
先日の香山リカじゃないですが、「心の健康」を一番に重視すべきでしょう。
ココロを患ってバーンアウトしてしまったら、立派な社畜とは言えなくなりますから。
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by hito2653 | 2011-12-12 23:34 | 読書
「気にしない技術」香山リカ(PHP新書)
⑪「テキトー」ってそんなに悪いことですか より

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ビジネスの世界ではもちろん、最近は日常生活や病院なども"テキトー”はどんどん肩身が狭くなりつつあります。

細かい人は「きちんとしている人」と評価され、テキトーな人はものぐさで駄目な奴、
「優劣」「善悪」「良・不良」で言うと、後者は前者に勝てるはずはなく、
細かい人=正しい人 と思われるきらいすらあります。


しかし、テキトーを排除することで仕事の能率があがったり、生活しやすくなったりしているかというと、必ずしもそうではないと思うのです。

1990年代にアメリカの学校ではじまった「ゼロ・トレランス(非寛容)」方式というルールがあります。
校内での規則やルールをあらかじめ設定し、これに違反した場合は容赦なく罰則を与えるというシステムです。

アメリカでは一時、この方式こそが生徒の問題行動を防ぎ、自覚を促し、向上心を目覚めさせるといわれていました。ところがその後・・・・・・

校内の暴力行動などは減っても、不登校やいじめなどは増加した・・。

この「ゼロ・トレランス」に似た考え方を熱心に導入している組織があります。
それは「会社」です。

外回りの営業マンにGPSをつけるなど・・
あいつは信用ならない、、ということの裏返しでもあります。

目立つのは業績アップではなく、うつ病、労災、パワハラ裁判・・・

世間ではあまりいい扱いをされない、テキトーは相互信用の証にもなりうるのです。


よく、「私は潔癖症」と自慢げにいう人がいますが、潔癖=自分はちゃんとしている=自分は信頼のおける人間、というアピールをしているようにも思えます。「整理整頓のできない人は人間的に欠陥がある」そんな偏見すらもたれることがあります。

ですが、本書にも書かれているように、整理整頓も他人に褒められるためにやるのではなく、「自分にとってのラクさ」からするものなので、他人に迷惑や不快な気持ちを与えない程度なら、その人にとっての効率性を重視すべきでしょう。自分の中の基準を押し付けて、相手に圧迫感を感じさせるなら、「潔癖の傲慢」かもしれません。

細かい(潔癖)=正しい=効率がよい
必ずしもそうではなく、お互い「トレランス」、つまり
ほどよいテキトーさ
をもつことが、人と人との信頼関係の証にもなる。そのようなことが書かれていました。

こんなこと書いて・・・、テキトー・大雑把・・そんな自分の擁護みたいな感じですかね・・^^;

しかし、この本で言いたいのは、テキトーがよい!といっているのではなく、
先に書いた、
「ポジティブでないといけない」の押し付けのように、
「デナクテハイケナイ」圧迫が、ときに、心の健康ばかりか、効率性まで害していることを言いたいのだと思います。
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by hito2653 | 2011-12-11 13:40 | 読書
香山リカさんの本は実は初めてだったりします。

とりあえず、本屋でタイトル買い。スグ読めちゃうし、共感できる部分も多くてよかった。
これが「香山節」かー、と売れっ子精神科医の香山リカさんのことをちょっと知れた気になります。
(ちなみに、香山リカはリカちゃん人形の本名をもじったペンネームで、本名は非公開らしい・・)

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最近「新型うつ病」なるものが若い世代に増えているそうです。”仕事中にだけうつになり、 会社の外では元気”というのが特徴。

若い世代だけでありません。
大企業で、それなりにいいお給料をもらって、バリバリ働いていた人が、突然「心の病」で休職・・
なんて珍しい話ではありません。

「健康こそが財産」とはよく言うけれど、いまや
「心の健康こそが財産」なのではないでしょうか。

「心の健康」こそが「幸福感」の源であり、それが土台になって、仕事をしたりお金を稼いだりするなら本当の意味での財産でもあります。

そんななか、世間で言われる諸説のアンチテーゼとして、生きにくい世の中に「空気穴」を開けてくれているのが本書。

特に度肝を抜いたのが
⑦ネガティブ思考のままでいい
⑲グチを言わないのはいいことか

今は、どんなビジネス書を開いても、判を押したように「ポジティブ思考」をすすめてきます。
そして、「愚痴」を言うことはよしとしません。
私は基本的にこれらの考え方を実践しようとしていますし、勝間和代さんのいう「三毒追放」(怒らない・妬まない・愚痴らない)も努めて実践しようとしています。だから、アレっと思ったんです。

ただし、香山さんは、それを否定しているわけじゃないんです。
逆にそれが重荷やプレッシャーになっていたら、本末転倒だというのですね。

香山さんのいう、「躁転(そうてん)」は「欝転(うつてん)」かそれ以上に厄介なものっだといいます。
一旦前向きになったと思ったら、その後ドーンと重い欝状態に陥る危険性もある、というのです。

また、次のようなエピソードも。
会社が女性の負担を減らそうと、給湯室をなくし、給茶機を各課に設置したら、メンタル不調を訴える女性が続出したと。つまり、グチをこぼしたりする場所がなくなったためだとか。

「気軽にグチをこぼせる仲間」がいなくて、「グチも言い合えない職場には未来はない」と香山さんは言っています。

これからの世の中、目指すべきは「ポジティブ」でも「ネガティブ」でもない、
「ちょいうつ」「ちょいネガ」ではないでしょうか。

ポジティブがあっている人はあえてネガティヴになる必要はありません。
他人にまで「もっとポジティブ思考になれよ」と強制しないでほしいのです。

この
「ちょいネガ」
っていう表現気に入りました(笑)
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by hito2653 | 2011-12-11 13:08 | 読書