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10月に放送された、NHKの経済学番組「オイコノミア」についてのメモ。
「教育」。それは学校で家庭で社会でだれしもが経験すること。そもそもなぜ教育が必要なのかを経済学の視点から問いただす、という回でした。
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芸人ピース又吉が一橋大学の川口大司教授とともに。

「教育=投資」「シグナリング理論」「人的資本理論」「比較優位」「自己冷却装置」というワードが登場
又吉「シグナリング理論はあれですよね。大学行ってるっていうので就職が有利になるって言う。」

シグナリング理論・・・勉強時間や学費を投資するのは自分の能力を伝えるため、という考え方
就職の際、企業は学歴を見てその学生が優秀な人材だと判断し、判断する傾向にあります

ただ川口教授はこのシグナリング理論に疑問を呈します
川口教授「仮に大学入試に合格する能力が重要なシグナルとするならば、大学入試が終わった直後に雇用主は大学生を雇用してしまえばいいわけですよね。」

又吉「はい。」
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教授「ですけれども追加的に4年間教育をやっている。これっていうのはいったいなんなんだ、と。出てくる考え方はやはり教育を受けることによって、実質的な能力の部分が高まって労働者としての生産性が高まるんだって言う“人的資本”の考え方になるんですよね」

「大学入試が終わった直後に雇用主は大学生を雇用してしまえばいいわけですよね。ですけれども追加的に4年間教育をやっている。これっていうのは一体なんなんだと?」

「出てくる考え方はやはり教育を受けることによって、実質的な能力の部分が高まって労働者としての生産性が高まるんだっていう、人的資本の考え方になるんですね」

又吉「その4年間を使って、自分の可能性を広げてるっていう考え方ですかね」

川口教授「そうですね。」
“人的資本”という言葉を初めて使ったのはアダムスミスだと言われている

スミスは道具や建物などと同様に人間の技能や判断力が生産のために必要な資本であると考えた

再び人的資本が注目されたのは1950年代。

研究者たちは労働者数・工場・設備資源などの増加だけでは各国の経済成長率の伸びが計算上説明できないことに悩んでいた。

数値のズレを解明したのは、ノーベル賞学者のアーサー・ルイスだった。

人間の知識、すなわち人的資本が向上すれば技術革新が起こり生産性が上がると考えたのである。
ジェイコブ・ミンサーやゲーリ・ベッカーは人的資本を「投資」という枠組みで理論化しました。

「教育は経済成長に密接に結びつく」と主張した、と。

次に各国のOECDが行ったPISAというテスト結果と各国の経済成長率の関係性を表したグラフを紹介

テストの結果が高いほど、成長率が高いことを述べています

抜きんでている国は韓国、日本も採用年代に高度成長期が含まれていたので高水準に位置しています

しかし南アフリカなど子供たちの就学率が上がったにもかかわらず、経済成長は伸びていないという結果もあり必ずしも教育=経済発展とは当てはまらない

大切なのは教育を受けた労働者がその能力を十分に使えるような社会の仕組みが整う、制度の充実を図らないと経済成長は伸びない、と川口教授の考え。


教育の必要性を子供たちに伝えるには―

ここで、民間出身で初めて公立中学校の校長を務めた藤原和博さんと又吉さんの対談

又吉「『教育は投資』っていう考え方があるじゃないですか。それを藤原さんはどのように子供たちに意義を伝えているんですか」

藤原「僕は小学生にはロールプレイングゲームね、ゲームやってる子多いと思うのでロールプレイングゲームで主人公が怪獣と戦って経験値を上げるっていうのがありますよね。

姫を助けたり自分がカッコいいヒーローになるためには経験値を上げなきゃなんないよね。それと同じような言い方ですね。勉強することは経験値を上げること。」

又吉「経験値をためないことには自分も強くなれないですし、どこにも行けなかったり」

藤原「あともうひとつの言い方として、僕は特に幼児から小学生の頃はね“集中力”と“バランス感覚”っていうのが二大要素で、『集中力とバランス感覚さえあればあとはどうにかなるんだ』という言い方をしてるんですね。そのときに集中力を高めるのに一番いいのは・・勉強かなと。

『君に、そんなに、本当に夢中になれるものがないんだったら、まず今勉強して集中力を養っておいたらどう?』という言い方をするときもある」
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又吉「なるほど」

希少であれば価値は上がる、希少になるための勉強をしなければならない、ということをおっしゃってました

経済学では 「自分を知るための“教育”」 教育を受けることで自分の特性を知る、という機能がある

川口教授「能力という言葉を使いますけれど、能力って必ずしも1つの物差しだけで測れるものじゃないんですよね。

いろんな物差しがあって、勉強が得意だっていう物差しもあれば、人を笑わせる力があるっていうそういう能力もありますよね

どこに適性があるのか、ということを発見するための仕組みでもあるんですね」

川口教授「勉強が最初のうちは向いてるかどうか分からないわけですけれど、やってるうちにだんだん自分の能力がどの辺かなというのが分かってくるわけですね

一方で笑わせる能力っていうのもクラスの友達を相手にやってみたりするとだんだん分かってくるし、そうすると、いつかどこかの時点で自分は笑わせるところに特性があるんだなと、比較優位があるんだなということに気づくタイミングがあるわけですね

そうすると笑わせるという能力をより開花させるような進路を選ぶということになっていく、ということですから教育っていうのは自分の能力をある種思い知らされる意味で冷酷な面もあって、『自己冷却装置』だと呼ばれるんですよね

教育には“親”と“環境”の影響も大きいそうです

川口教授「親が投資として子供に勉強させるといったときに、必ずしも親は子供から金銭的な見返りを求めてるとは限らないんですよね。子供のことを思っていて、将来いろんな選択肢を広げてあげようという思いから子供に勉強させる」

親が子供の教育に与える影響は金銭的なものだけではない

ある統計データがあり、およそ30カ国のデータを平均すると、

家に本が100冊以上ある子供は12年以上教育を受けている。つまり、高学歴になる傾向があるそうだ


川口教授「教育水準の世代関継承なんて言ったりしますが、親の教育水準と子供の教育水準が必ずしも金銭的な経路を通じてのものだけではなくて、教育に対しての考え方、あるいは知的な雰囲気を通じた経路も重要だっていうことが指摘されているんですよね」
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とあるニュースの特集。
女性管理職の割合、日本、先進国の中で最低水準
今に始まったわけではないと思うが・・・・。

アベノミクスの経済戦略の一環で「女性活躍支援策」があるからか、ニュース番組で特集をやっていた。

ドキュメントとして取り上げられていたのが、とある中堅証券会社で30代にして最年少支店長に抜擢された女性。見るからに男勝りでバリバリに仕事をやりそうなキャリアウーマンという感じで、男性で年上の部下に対する言葉も厳しい。

「契約ゼロ?で、それに代わる成果は?3時間あったわけでしょ?その間は何してたの!?え?電話がたったの20本?ありえない。それだけ?」
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こわああああああああああああああああああああああい((((;゚Д゚))))

男性の上司以上にこの女性上司に「怖さ」を感じたのは私だけだろうか。:(;゙゚'ω゚'):
いや、女性の私ですらこれだけ怖いんだから、男性はもっと怖いはず・・

出来る女性上司、というと、えてしてこういう人物像が刷り込みでできてしまう。
でも、これはある意味番組の策略?戦略ミス?

これを見たら男性は「怖!!!!女に言われたくねえ!」と思うだろうし、
女性だって「こんな風に仕事するなんて無ー理ーー!」となるに違いない。

「女性と仕事」
一番問題とされるのはもちろん、家庭と仕事との両立だ。

この番組では女性ならではの仕事のやり方、などにスポットを当てていたが、その人が結婚しているかどうかすらもわからず、プライベートについていっさい触れられていないことに「悪意」すら感じた。

仕事はバリバリやっていても、家の中は無茶苦茶、子供が寂しい思いをしている・・
そんなのが嫌で、結婚する前から取り越し苦労をして、自分の生活を変えることに二の足を踏む働く女性は多くいる。(私も含めて)

家庭中心の女性は、仕事中心の女性に対し羨望を持ってるし
その逆もしかり、
仕事中心の女性に対し、家庭中心の女性は羨望を持ってるいることが多い。

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たまに、仕事はバリバリ、家のこともおしゃれなインテリアを揃え、趣味と実益を兼ねてお料理も得意、といった「ワンランク上」のスーパーウーマンもいるが、あまりにハードルが高い・・・・。(>_<)

そうすると、仕事中心VS家庭中心、という二元的な隔たりができてしまうのではないか(´Д`)
お互いが「ないものねだり」なのだ。

そんなとき、人から言われなるほどーと思った言葉がコレ。
「女性のキャリア(家庭も含む)は、MUSTよりWANTで考えよ」(^-^)/

仕事をばりばりこなさなきゃ、家庭もちゃんとしなきゃ!(>_<)でなくて、

仕事は「やりたい」からやる。
家庭のことは、例えば結婚しなきゃ、子供を産まなきゃ、家事をちゃんとしなきゃ、でなく、
好きな人といたいから、結婚する。子供も作らなきゃでなく、欲しいから産む。幸せな家庭を維持したいから、家事もそこそこにやる・・・

義務感ではなく、「モチベーション」で考えると、ほかの女性と比べて負い目も感じないし、一歩前にすすめるのでは?・・と
なるほどーと腹にははいったけれど・・が実践はできてないね。(゚д゚lll)
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最近多い「テレビネタ」です。011.gif

今日は、マツコの番組にマネーの虎の安田久が出てたけど、やっぱり失敗の要因は家賃500万円の銀座に飲食店出したことだったらしいね。その後転がり落ちるように店は失敗で借金は増え・・。

過大投資が失敗のもとって、ある意味「お約束」って感じ・・・

笑っちゃう格言も。

「ピンチはチャンスって言うけれど、ピンチはピンチ」007.gif007.gif007.gif

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でもね、先日カンブリヤ宮殿でピザーラで有名な飲食チェーン「フォーシーズ」、の特集をやってたけど、浅野社長も超どん底を体験(脱サラして始めた飲食店が出店後10日で火事、本人も大やけど。他も次々と事業に失敗。)してたけど、ここで社長の格言。

僕は11回目で成功できた
やってみなきゃ分からない


奥様もスゴイ。
人の10倍頑張れば、10倍返ってくるって信じてたって。005.gif

成功の決め手はピザにマヨネーズやで。売れなかったピザ生地に従業員がマヨネーズかけて食べてたのを見て、試食したら激ウマやったらしい。011.gif

日本人にあった、日本生まれのピザチェーンで全国シェア一位を獲得。

村上龍の「編集後記」も「鼻につく(爆)」と言ってる人も多いけれど、私は今回はなるほどって思ったなあ。056.gif


「フォーシーズ」、四方に種を植えるという意味合いがある。(中略)
過酷な環境を好む人など誰もいない。また、打ち勝とうとしても、さらに叩きのめされることもある。淺野氏は、嵐をやり過ごすように耐えながら、決して種を手放さず、強さと優しさを手に入れて、人々を幸福にするための果実を育んだのである。

また、中村うさぎさんは
「努力は苦手だけれど、我慢はできる」と言っていたそうです。

「努力」と「我慢」は似ているけれど、違う。
「努力」の方が能動的で、自らがんばっているような感じがして、それにたいして「我慢」は受動的望む望まないにかかわらずふって湧いてきたような感じです。

「努力」はある意味才能です。勉強をし、受験勉強に打ち勝つ能力がある子供は「努力」する才能はあるけれど、「我慢」ができるかどうかは、また別の問題かもしれません。

この微妙な違いを知ることも何かヒントが隠されているような気がします。023.gif
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またテレビネタです。
先日、オイコノミアという番組で「広告と消費行動」という興味深いテーマをやっていました。

2012年の広告業売上高は・・
なんと。5兆4千万円。GDPのおよそ1%にあたるそうです。
その広告が消費行動に影響するとなると、私たちの日常生活にとっても非常に大きな存在になると思います。

しかしながら、
「広告はときに有害である」という言葉を経済学者のジョンガルブレイズが言ったそうです。

それは、アメリカで「口臭対策の薬」を広告することによって、
これまで「口臭」を気にしなかったアメリカ人が気にするようになってしまったという実話に基づくものだそうです。

このように、広告は今まで価値がないと思っていたものに価値を見出し、時には消費者に今までになかった価値観をもたらし、余計な出費をさせてしまうというのです。

でも、これはものを売りたい側にとっては消費者に「価値」を感じてもらうのは願ったりかなったりですよね。

そして、現代の広告を知る上で紹介されていたのが二面市場モデル。これは何かというと、広告を媒介するメディアが消費者と企業の双方に価値を生み出しその対価をもらう、という考え方です。
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その「広告価値」は見る人が多ければ多いほど高くなります
例えば「テレビ」見る人が多いので「広告価値が高い」。

したがってスポンサーは高くても番組制作費を払い、視聴者はその分タダで見れるというわけです。
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ただし、消費者側は単に「タダ」だからと言って、それを見てくれるとは限らないですよね。高い金をはらったのに、効果が薄いとお願いしたほうは噴飯ものでしょう。

それが今のテレビの視聴率合戦、ひいては不正行為につながっているのだと思います。

たとえ「タダ」でも相手の時間などの資源を割いてもらって見てもらうのが広告。あの手この手でいろいろと注意を引こうとしていますが。中身がなくて単に奇をてらっただけの内容であれば、あっと言う間に消費者に飽きられてしまうでしょう。

よい「コンテンツ作り」というものにおいても、タダでおもしろいものがあふれている時代、とても難しいことなんだなあ、と思いました。
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またまた半沢ネタです。
いやーすみません、半沢ネタにすると視聴率(ブログアクセス)がよくなるもんで。011.gif

今は渦中の「みのもんた」さんですが、この方もかつてはテレビで一日見ない日はない、というくらい売れっ子でしたよね。

でも、単純に疑問に思ったことがあります。
なぜ、これだけ「アンチ」「嫌い」な人がいるのに、こんなに売れっ子だったのか。

それは、5年以上前に読んだ冷泉彰彦氏の本で、みのもんたは「コードスイッチ話法」を巧みに使っているということが書かれていたのを思い出しました。

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「コードスイッチ話法」とは、「敬語」といわゆる「ため口」をうまく織り交ぜて話すこと。私のブログでも、「です」「ます」調と「である」調がごちゃごちゃになっていたりします。

それによる効果は、「距離を縮めて、相手を説得する効果」
例えば、敬語ばかりで話しているとどうしても相手との「距離感」が出てしまいます。

かといって、社会人が「ため口」ばかりで話すということは第一ありえないですし、なによりも「なんでそんなに『上から』なんだ」と腹が立つか、「敬語も使えないのか」と逆にさげすまれたりしてしまいます。

「敬語」で説明や説得をし、「ため口」で親近感を持たせて「共感に導く」、ひとつの話術であると言います。

この「コードスイッチ」は、今まではアナウンサーの「禁じ手」だったらしいのですが、みのもんたがやり始め、今は辛抱治郎宮根誠司など、いわゆるアナウンサーあがりの司会進行者の間でかなり浸透しています。

ただし、「ため口」で断定的な表現をしたりするので、どうしても「ふてぶてしい」印象を与え、これらの人は好きな人とアンチに大きく分けられます。048.gif

また、この話し方には「中毒性」があり、一度はまるとその人がテレビに出ているとどうしても見てしまう、という傾向にあるというのです。005.gif

そして、言っていることが論理的であろうとなかろうと、「さもありなん」という気になってしまうそうです。

今の話を無理やり半沢直樹につなげると、半沢直樹も巧みに「コードスイッチ話法」を使っていたような気がします。

先のブログでも書いた「タブレット野郎」をやりこめるときも、最初は敬語で話し、途中から「〇〇だ」「こっちを見ろ!!」など、ため口にスイッチしています。

・・・半沢の場合は激昂しているだけかもしれませんが(笑)^^;

「ふてぶてしい」「なれなれしい」「えらそー」と紙一重ではありますが、「コードスイッチ」を巧みに使うことで説得力を増す、というのはなかなか面白いなと思いました。056.gif
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メンタリスト Daigoの半沢直樹に関するもので他にも印象に残った記事をアップしておきます。012.gif

半沢直樹に出てくる登場人物は何を一番の価値観にして様々な「決断」をしたのか、という見方をするとまた一考させられます。

私もかなりの優柔不断人間なので、下記の記事は印象に残りました。040.gif

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もう迷わない、もう後悔しない!  「優柔不断」から卒業できる簡単な方法

できるビジネスパーソンは決断が早いと言われます。私が普段お会いする企業のトップの方々も、まさに「即決」です。005.gif

 では、どうすれば後悔せず、迷うことなく決断することができるのか。答えは簡単、いたってシンプルです。

「自分が絶対譲れない、人生において大切なもの」を明確にし、それを基準に判断することです。072.gif

企業のトップなら、優先すべきは「会社の利益か自分の体裁か」、人生ならば「家族との時間か会社での出世か」など、絶対に失いたくないものや、人生で必要不可欠なものが何かが明確であれば、判断を間違うことも迷うことも、後悔することもありません。047.gif

 このことがわかってから、私も決断が早くなりました。私にとっての絶対譲れないもの、それは「知識」です。私が本が好きで、本を読むため、知識を得るために生きているといっても過言ではありません。お金や地位や名誉はいらない。ただ本が読みたい、好きな本を好きなだけ読めるように働いているし、本を読む時間がなくなるような仕事のやり方はしていません。

 人生の決断ならば、「自分の人生における必要不可欠なもの」、ビジネス上の決断ならばそのプロジェクト、仕事、交渉においてで「もっとも目指したいゴール」を判断基準にすると、驚くほど決断は早くなります。あれもこれもとよくばりになればなるほど、決断できなくなり、結局いい結果には結びつきません。

 あらゆる決断に通用する「自分なりの確固たる基準や尺度、ものさし」を用意しておきましょう。

決断力とは、自分の中に「動かざる基準」「ゆるぎなき信念」を持っているかどうかだと私は思います。
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先日、録画して溜めていたNHKで又吉が出ている経済番組「オイコノミア」を見ましたが、「見た目」と経済学のカンケイ、について取りあげられていました。

テキサス大学での研究だそうですが、「見た目」について「ポイント」で評価したところ、
「見た目ポイント」の高い人の方が実際に所得が17%も高いという結果が出たそうです。005.gif

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うーん、「見た目」がいいから所得が高いのか、所得が高いから身だしなみをきちんとしているのか。





もしくは身だしなみをきちんとしている人は、仕事においてもきちんとしているから所得が高い仕事に就けているのか・・・そのあたりの因果関係はハッキリしないんですがね。


あと、これはだいぶ前のベストセラー「人は見た目が9割」にも書いてあったことなのですが、「人の話」について内容についてはたったの7%の印象しか残らない・・と。

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よく会議の質疑応答等で雄弁に語る人がいますが、中身よりもむしろその人の見た目や話し方と言った雰囲気、または肩書きといったバックグラウンドがかなり相手への印象として残る。

例えば「半沢直樹」みたいにパリッとスーツを着ていかにも有能そうなビジネスマンが雄弁のものを語ると、仮に中身がないことを言っていたとしても相手は「すごーい」005.gifと思うのでしょうね。


これは、「ハロー効果」(目立ちやすい特徴に引きずられて他の特徴についての評価が歪められる現象のこと。)ともいうそうで、

裁判員裁判が導入された際、被告人がボロボロの格好で登場すると仮に無実でも印象を引きずられやすいことから、これまで「自殺防止」のため認められていなかった「ネクタイ」の着用が認められるようになったそうです。
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人気の倉庫型店舗「コストコ」をご存知だろうか。

最近、値段は安いが駐車場代でぼったくっている、とネットで話題になったりもしているのだが(笑)

なんと言っても、このビジネスモデルの特徴は「安さ」と「ワクワク感」
お宝探し的なワクワク感が購買意欲をかりたてている。

その安さの秘密についての記事を引用してみよう。

【圧倒的な安さ】
 コストコの安さを支えているのは徹底したローコストオペレーション。広告宣伝費や店舗内装費を削減するほか、多くの商品は世界7カ国550店舗で一括発注して安く仕入れる。商品点数を絞る狙いの一つは、スタッフの手間を減らすこと。こうしてさまざまな経費を下げ、粗利益を低く抑えている。

●粗利益の上限を設定
直接仕入れで安く売る
NB商品は13.9%、PB商品は14.9%に粗利益の上限を設定。平均すると粗利益約9~10%で売られている。メーカーからの直接仕入れで、利益を取りすぎないよう徹底。

●徹底したローコストオペレーション
コストを抑えるため、内装は至って簡素。右写真のように各商品は1枚のパレットに載った状態で売られている。日本の小売業者のようにこまめな品出しはない。スタッフの手間が省ける。

●扱う商品は4000品目だけ
店頭に並ぶのは約3800~4000品目。うち2500品目が定番商品、1500品目がシーズン商品だ。業界1~2番手メーカーの商品だけを仕入れるのも特徴だ。



しかし、この目新しく見える、アメリカから黒船のように伝来したこのビジネスモデルは、京都の老舗の問屋もやっている。

恐らく、京都は「地蔵盆」など地域などが子供のために大量にお菓子等を買う風習があるので、
「卸売」と「小売」をミックスしたようなC&C(キャッシュアンドキャリー)方式が一つのモデルとなったことが想像される。

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最近は茶掛軸のことばを考えてみたり、「和」のものにまつわるブログが多いのですが、一歩踏み込んで、京都の和菓子、についてちょっと調べてみたことを書いてみます。

まず、京都の和菓子ランキングなるものを調べてみると・・・
→リンク  コトログ京都 -和菓子-

1位 千寿せんべい 鼓月
2位 あぶり餅 一和
3位 阿闍梨餅 京菓子司 満月
4位 生八ツ橋 聖護院八ツ橋総本店
5位 名代豆餅 出町ふたば


とあります。ありゃりゃ、有名なものばかりですが、手土産と観光客が頂くお菓子ばかりになってるじゃないですか。そりゃそうですね、こういうランキング自体がそういうのを目的にしているんですから。040.gif
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京都で和菓子を語り、理解するうえでどうしても必要なのは
「菓子屋」と「饅頭屋」と「餅屋」の3つの商売の区別です。

京都の人々の口調では「おかしやはん」「おまんやはん」「おもちやはん」といいます。

この3者の違いを語るとすれば、「菓子屋」「御菓子司」(おんかしつかさ)といい、「もてなし」の菓子を、「御饅頭屋」は庶民の「おやつ」を、「餅屋」は京で赤飯や神仏へのお供え用のお餅やお華束(おけそく)を扱った商いを指します。なお、「餅は餅屋」という諺は、上方(京都)の「いろはかるた」から生まれたと言われています。005.gif

この3者をそれぞれの場で使い分けるのが京の暮らしの文化でした。この区別も今は知らない人が多くなりましたが、3つの商売が一体となって京都の菓子の世界をつくってきたのです。056.gif

次に「もてなし」の菓子の発生「御菓子司」についてです。

単にお菓子といえばおやつを思い浮かべる人や、甘い物をイメージする人が多いと思います。しかし、先ほどの「菓子屋」の作る菓子は、お腹の足しになることを期待して食べられるおやつとは違い、また本来甘い物ばかりではありませんでした。011.gif

日本人が甘い物をお菓子として食べるようになったのは、南蛮文化とともに金平糖やカステラなど砂糖を使った純粋に甘い物をお菓子として食べる文化が入ってきてからのことです。

それまでは、利休の会記にも出てくるように、お茶の世界でも、お菓子と言えば柿や栗、または餅に味噌を塗った餅などでした。当時は小指の先ほどの大きさの金平糖3粒が出城と交換できたという話があるほど、砂糖や砂糖を使ったお菓子には価値があり、誰もが食べられるものではありませんでした005.gif

こうした時代背景を考えると、お菓子を食べることができ、人に食べさせることができたのは、相当なステイタスがあったということがわかります。お菓子は本来、貴族的な食べ物、いわば上流階級の食べ物だったのです。072.gif

そしてさらに、自分が食べるものではなく人に食べて頂くことで自分の地位や相手を思う気持ちを伝えようとした「もてなし」としての菓子が生まれたのです。

当時はお茶も、信長や秀吉など日本の階級制のトップにある人たちの世界でしたから、お茶の世界のステイタス性と砂糖のもつステイタス性、そしてお茶のこころである「相手を立ててもてなす」気持ちとお菓子が結びついていったのはごく自然なことでしょう。012.gif
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京都のお菓子屋でよく「京菓子司」と頭に書いてあるのを見ます。
「司」とはお公家さんから「掾(じょう)」や「介(すけ)」という位をもらい、専属の御用をするという意味で、江戸時代を通じて京都で続いた上菓子(じょうがし)屋仲間という組合制度からきた身分でした。上菓子屋仲間は248軒と数が限られていて、御菓子司しか白砂糖を使うことを許されていませんでした。

現在京都にある菓子屋は御菓子司から暖簾分けによって代を継ぎ、伝統をつなげてきました。

このように京都でお菓子を支えてきたのは、茶道の家元はもちろんのこと、天皇さんを中心とするお公家さんや寺社仏閣などの特権階級でした。


まず第一に、菓子屋のつくる菓子は季節を表したものがすべてともいえます。
季節こそが菓子の命。季節そのものだけではなく、その時期が来る前に待ちこがれる期待感から始まり、盛りの時季、そして過ぎ去った季節への追憶までが菓子の季節表現の対象となり、人々はこれを心で感じ楽しみます。

つまり、単に春夏秋冬だけではなく、それぞれの「移ろう姿」を表現することが京菓子の特徴なのです。

第二に、菓子がそれぞれ「銘」を持ち、命名されてもちいられるということです。
京都の菓子は、具体的にものの形を表現したものが多いのですが、東のお菓子のように写実的ではなく象徴的、抽象的に表現したものが多くあります。
これらのお菓子を分かりやすくするために「銘」をつけたのです。

第三に、形や色が「雅」であるということです。
色はいわゆる「はんなり」と言われるように柔らかい色調であり、平安時代の女装装束の文化である「襲(かさね)色目」の色組合せがよく使われます。
そして形も江戸時代の元禄のころから京ではやった「琳派」(りんぱ)の型や文様がよくもちいられ、おおらかな形が公家階級や庶民まで広く好まれ、菓子として多く取り入れられてきました。

第四に、京の菓子は「もてなし」「贈答」の品として「主(あるじ)」の「客(きゃく)」へのメッセージを伝えるものとしての役割がありました。
そこには「味」と「美しさ」の世界を超越した「心」を伝える食べ物としての役割が潜んでいるのです。


しかし、現在菓子屋を取り巻く環境は大きく変化しています。007.gif
機械化、が進み、各地のキオスクではたくさんのお菓子がならび、大量生産、大量販売が主流になっています。
お菓子を頂く生活の場も変わりました。各家庭から床の間や座布団が消えていくにつれ、「お客様用」という設備や考え方がなくなり、家にお招きする人はすべて「おともだち」になりました。048.gif
当然「もてなし」としての菓子の役割も変化せざるを得ません。
家族も変化しています。核家族が増え、祖父母と一緒にお菓子を食べることも少なくなったので、菓銘に込められた季節や和歌の世界など、お菓子の持っている物語性は子どもに伝えられなくなりました。

こんな時代だからこそ、お茶会でも日常の生活でもお菓子を単なる食べ物と思わないで、そこに込められた貴族性や高度な文化性を日本文化のエッセンスとしてとらえ、体得し、次の世代につなげていきたいものです。
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鴨志田晃先生の本より転載。なるほどと思ったのでメモ的に引用しておきます。

「顧客満足を高めるには、ただやみくもに高い成果を追求してはいけない。顧客の期待値をきちんと把握する、あるいうはコントロールすることで、より効果的に顧客満足が得られることがわかるのである」

よく百貨店では「クレーム」が多いと言います。
「クレーム」は百貨店への「期待値」の裏返しです。

たった、数百円のものが不良品だった、ということで代金返還のみならず、家まで謝りにこさせた、なんて話はよく聞きます。そういう人は、いわゆる巷の「クレーマー」でなく、ごく普通の人だったりするのです。

なぜそんなことになるのでしょうか。

きっと「百貨店だったらこれくらいのレベルで当然」というのが裏切られた分、強い不満につながるのでしょう。
逆に、小さな居酒屋が思いがけず美味しい店であったりすると感動したりします。

よく友人などが、「あそこのガソリンスタンド、スタッフの態度が悪かった」「雑誌に載ってた店だけど、大して美味しくなかった」などとプリプリ怒っていることがあります。

一方、私はそういうことであまり怒ったりすることはない方です。
もともと期待値が低い、というより「こだわり」が少ないからでしょうか。その分楽でいいですよ・・^^:
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