昭和時代③ 財閥の独占からファシズムへ
政権与党が交代。立憲民政党の
濱口雄幸内閣が誕生します。
浜口は大蔵省の出身で経済畑の大臣。
1920年代というのは、20年(第一次世界大戦後の戦後恐慌)、23年(震災恐慌)、27年(取り付け騒ぎが起こった金融恐慌)とほぼ3年おきに恐慌がおこっていた時代。
高橋是清の政策によって金融恐慌はなんとか脱したものの、不景気には変わりありません。
そこで経済畑の浜口雄幸が行ったのは、金融財政・経済合理化に加え、「金本位制度の復活」でした。
日本は1897年、日清戦争の直後に金本位制になったんですが、第一次世界大戦後の混乱でヨーロッパ諸国はみーんな金本位制を辞めちゃったんですね。それにならって日本もやめたワケ。
でも日本って通貨に信頼をもってもらって、為替も安定させて日本のモノをバンバン外国に売り込んでいきたい、・・・そう思ったわけやね。
しかし、結果的に円高になってモノがうれなくなったうえに、さらに金本位制にして世界経済とつながったがために「世界恐慌」にもリンクしちゃい、こうして
1930年に「昭和恐慌」が発生してしまいました・・・
しかもこの年、お米が大豊作になって、米価が著しく下落。
消費者はお米が安くなってウレシイと思うかもしれんけど、生産農家は収入が減って大打撃。
また世界恐慌でアメリカに対する生糸の輸出量が激減。
農家の多くではお米だけでなくお蚕を飼ってたんですよね。
しかもこの頃欧米では「人絹」(いわゆる化学繊維)の製造がはじまり、ますます高価な絹は売れなくなります。
幾重にも悪い条件が重なり「農業恐慌」となり、地方では栄養失調の子供が続出、娘の身売りまで行われるようになりました。
1930年に「昭和恐慌」が起こり、会社が次々潰れていくので、それを防止するため
「カルテルの結成」を助長するような法律、重要産業統制法1931年(昭和6年)が制定されます。
要するに、重要な産業が潰れるとこまるから大企業と合併しなさい、というのが主旨。
結果、政府にとって重要な産業を「四大財閥」が独占するようになるんですね。
そう、三井・三菱・住友・安田。
2つの恐慌によって日本経済は財閥が独占するようになり、このあと日本の政治は軍部が独占するようになるのです。
日本の経済を独占した財閥と、日本の政治を独占した軍部は、
「もっとも儲かる商売」に手を出します。
・・・・それが「戦争」です。
日本がファシズムにいたる要因がここでひとつ完成するわけです。
外交の方なんですが、1930年(昭和5年)に「ロンドン海軍軍縮会議」が行われ、浜口内閣の外務大臣、幣原喜重郎が参加。
幣原喜重郎っていったら1921のワシントン会議でボコられた人ですね。
協調路線の浜口内閣は海軍の反対を押し切り、調印するんですが海軍や右翼勢力は反発するわけです。
浜口内閣はなんとか条約の批准にこぎつけたけれど、東京駅で右翼青年に狙撃され重傷を負うんですね。原内閣が暗殺されたのと同じ構図です。
さらにこの時期、「金解禁で不景気になった責任取れやーー」と「軍部政権」樹立をもくろむクーデターまで起こってしまいます。(3月事件)(1931年(昭和6年)年3月)
こうして浜口内閣は退陣し、与党は立憲民政党のまま、若槻礼次郎内閣が就任します。(第二次若槻内閣)