昭和時代② 田中義一首相、最悪の結果に終わった張作霖爆殺事件

さてさて、なんとか金融恐慌を高橋是清大蔵大臣の力で収束させた
田中義一首相

田中首相はもともと陸軍の出身で、このときは立憲政友会の総裁です。
c0190486_19221886.jpg

若槻内閣の頃(⇒昭和最初の首相。金融恐慌の責任をとって辞職)の外務大臣は幣原喜重郎(ワシントン会議でボコられ、第一次世界大戦で得た権益を吐き出されるとともに軍縮を求められた)ですが、ワシントン体制を受け入れたことでもわかるように協調外交路線をとっていました。

でも実は枢密院は不満であり、外相も兼務する田中義一は中国に対して強硬な政策を推進します。

その頃中国では反日派の蒋介石が率いる国民政府(南京)が支持を集め、全土統一を目指していましたが、各地には「軍閥」と呼ばれる人が割拠していて、日本でいう
「戦国大名」が天下一を目指す「戦国時代」みたいになっていたわけです。

日本が関心を示していた満州は親日派の軍閥・張作霖が支配していました。

当時は旅順・大連の租借権は日本にありましたし、長春より南側の南満州鉄道(満鉄)の権益も日本にあったので、張作霖としてもここで日本と組むことによってお互いの権益を拡張していった方が得策、と考えるわけです。

一方、反日をとなえる蒋介石は、親日派の張作霖が支配している華北や満州に
「国民革命軍」を派遣します。これが「北伐」というやつで、もちろん日本にとっても非常に邪魔な存在です。

そこで田中義一首相は外交官や軍人を集めて、対中国政策を検討する東方会議を開き、中国における権益は武力行使してでも守る、という姿勢を示し・・・・・・・

「蒋介石の北伐を食い止める」名のもと、「山東出兵」を行います。

ところがところが、南京の蒋介石だけでなく、北京や上海の勢力などが北伐に合流してきたため、張作霖は押され気味になってしまいます。

ここで関東軍(関東州[旅順・大連]と満州に駐留した日本の舞台)の参謀の河本大作は
「このままだと張作霖が蒋介石の側に寝返ってしまうのではないか」と気になり始めます。

それくらいなら、張作霖を守るより、むしろ抹殺して自分たちで直接満州を支配したほうがいいんじゃないか、と考えるわけです。

そこで行われたのが1928年6月の張作霖爆殺事件です。
張作霖が乗っていた列車を奉天で爆破し殺害したのです。
c0190486_23362193.jpg

・・・・・・・・・・・・!!!!!む・ごすぎる。

ところが人ひとりを殺すのは簡単かもしれないですが、満州を支配するのは、そう簡単ではありません。結局張作霖は殺したのだけれど、満州支配は失敗します。

それだけでなく、張作霖の子、張学良が日本を信用していた父親が殺される、ということで、蒋介石と手を組んでしまいます。その結果、国民政府による中国統一が達成されてしまいます。
c0190486_19272429.jpg

ところで満州を支配するために張作霖を殺したのは関東軍の「独断」でした。
それが「最悪」の結果におわってしまったわけです。
こうしてこの事件の処理をめぐって昭和天皇の信頼を失った田中義一首相は1929年7月、総理大臣を辞任します。

[PR]