昭和時代① 昭和の始まりは金融恐慌ダ!

たった15年でも激動の時代、大正。
大正天皇が死去し、引き続き激動の時代は昭和へと移ります。

昭和は昭和天皇の在位期間である
1926年(昭和元年)12月25日から、1989年(昭和64年)1月7日まで。
(覚え方 昭和に「行く風呂」平成に「行く約束」

昭和時代の最初の内閣総理大臣は誰ですか?という問いに意外と答えられない人が多いと思いますが、答えは「若槻礼次郎」です。彼は加藤高明内閣の死去により、その意思が引き継がれた内閣です。(憲政会)
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若槻内閣は昭和の時代になっても震災恐慌をひきづっており、深刻な経済問題に立たされていました。とくに「震災手形」の問題が未解決のままだったんです。

そんな中、とんでもない失言を大臣がしてしまうのです。
それが片岡直温(かたおかなおはる)
「本日、東京渡辺銀行が破たんしたが、まことに遺憾なことであります」

「・・・・・・・・!!?!!!!」

この銀行は一時支払いを中止していたけれど、破たんはしていなかったんですよ。
なのに、そんなことを言うから・・。そう「取り付け騒ぎ」で本当に倒産してしまったんですね。
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それだけではありません。取り付け騒ぎがほかの銀行まで波及し、つぶれるという最悪の事態を巻き起こしてしまったんです。これが昭和に入ってショッパナ起った「金融恐慌」です。

金融恐慌は全国に拡大し、特殊銀行(特定の政策のために設立された銀行)の台湾銀行までが休業に追いやられました。
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台湾で砂糖やバナナを扱っていた鈴木商店という第一世界大戦で巨額の融資をしていた、いわゆる成金の一種の会社があったんですが、その鈴木商店が金融恐慌によって倒産したので、台湾銀行は大打撃を受けます。

これに対して若槻内閣は日銀の特別貸し出しによって台湾銀行を救済しようと思ったんですが、これが枢密院(天皇の諮問機関)の反対を受けて廃案にされてしまいます。

こうして恐慌を抑えることができなかった若槻内閣は総辞職してしまいます。

昭和最初の内閣はあえなく総辞職。

次に就任したのは立憲政友会の田中義一内閣です。
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田中内閣は高橋是清を大蔵大臣に据えて恐慌対策に取り組み、緊急勅令によって、「モラトリアム(支払い猶予)」を実施しました。

でもモラトリアムっていっても、永久に預金者がお金を下せないのではなく3週間。
この3週間の間に日銀は各銀行に特別貸し出しをし、経営を改善させたんです。

ただ銀行に融資しても経営状態が悪くて潰れられたら元も子もないので、ここで銀行法を改正します。それは「資本金規制」などの改正。つまり中小の銀行を存在できないようにすれば、潰れなくなりますよね。

その結果、銀行は合併され、三井、三菱、住友、安田、第一の五大銀行に集約されました。
これによって、この後のファシズムにいたる道程で財閥による金融資本の独占が起ってくることになります。

ともあれ、高橋大蔵大臣のこうした政策によって、金融恐慌はひとまず収束に向かいました。

金融危機と収束は首相の違いというより大蔵大臣の違いかな。
しかしこれによって協調外交の若槻内閣から強硬外交の田中義一に内閣が交代しました・・。
アホ大臣のせいで内閣が総辞職しなくてはいけないことになる、っていうのは今も昔も一緒ですね・・。
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