大正時代 ヴェルサイユ体制、ワシントン会議ってなーんだ?!

さて第一次世界大戦が終わったころ、原内閣が暗殺される前の頃に時間を戻します。
(つまり原内閣の時代)

1918年に第一次世界大戦が終わり、1919年に「パリ講和会議」が開かれ、戦勝国の一員として日本国も出席しました。(西園寺公望と牧野伸顕が出席)

1919年、年号を暗記しませんでした?締結された講和条約は「ヴェルサイユ条約」ですね。
この会議で定められた体制を「ヴェルサイユ体制」といいます。
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ここで唱えられたのは「民族自決」です。
この民族自決って言葉も聞いたことがあるやんね。民族の独立性、つまり植民地反対!と思いきや、そうじゃない。大きな落とし穴があるんですよ。(><)

民族自決とは「ある民族がある民族を支配する状況が植民地支配が起る。すべての民族は独立すべき」、とここまではいいんですがここでいう民族自決は「白色人種」に限定したもの

「これっておかしい!」と日本は「人種差別撤廃案」を提出するんですが、これは「世界で初めて」だそうなんですね。「人種差別撤廃」という考え自体が当時は画期的だった。まあ、日本人が「白色人種」でなくつまはじきにされたためと言えるかもしれないですが、「多数決でなく全会一致じゃないとそんな考え認められないよ」というアメリカのウィルソン議長の独断によりあえなく葬り去られます。

こんなこともあり、ウィルソン大統領(米)がとなえる「平和原則」なんて虚構なんじゃないか!というふうにも思っちゃいますよね。

パリ講和会議では、二度とあのような戦争はしないようにしよう、そのために世界平和の機関を作ろうっていうことで設立されたのが「国際連盟」です。(1919年6月28日)

■国際連盟の問題点

国際連盟の常任理事国は「イギリス、フランス、日本、イタリア」の四か国ですね。
ここで気づきません?
ロシアとアメリカが入ってませんやん!と。

ロシアはロシア革命の直後で、当時はほとんどの国が「ソヴィエト革命」政権を国家として認めていなかったので、国際連盟に入れてもらえなかったんです。

でほなアメリカは?国際連盟の設立を推進してた国やん?

これはアメリカが「モンロー主義」を唱えていたからなんですね。

モンロー主義?マリリンモンロー?ちゃいますがな。
アメリカの5代大統領モンローが提唱した、アメリカとヨーロッパ大国の相互不干渉主義に由来してるんです。

また国際連盟は「全会一致」が原則ですが、結局各国は自国の利害を優先させますから、抑止機能がない、という欠点もありました。なんじゃそれ・・
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原内閣が暗殺されちゃった、その後に内閣になったのが高橋是清内閣
1921年(大正10年)11月13日から1922年(大正11年)6月12日までの短い政権で閣僚もそのまま引き継いだので「居ぬき内閣」とかも言われちゃっていますが、その間に大きな出来事があります。
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それが「ワシントン会議」1921年の終わりから1922年にかけて。
このワシントン会議を端的にいうと第一次世界大戦後、国際政治の主導権を握ったアメリカが日本、英国の軍備縮小をねらったもの(と言えなくもない)

まず「日英同盟」は廃棄になります。

ほんで国際平和の名のもとに海軍主艦保有バランスがどうの、と言われて主力艦の割合が決められる。アメリカイギリス5・日本3・フランスイギリスが1.65
一見すると日本はフランスイギリスの倍やん!と思いますが、両国はヨーロッパ大陸にあるんやからもともと海軍はあまり要らないんですね。
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それより日本がアメリカやイギリスの6割ってのは結構な差異です。

また中国の「門戸開放」「主権尊重」「機会均等」の名のもとに日本が持っていた山東半島の旧ドイツ権益を返還することになりました。

え、他の国は租借地いっさい返してないやん!となるけれど、
「いや~私らのは前から持ってたけど、日本は第一次世界大戦のときにドイツから奪い取ったものでしょ」っていう理屈。

日本はこの会議で第一次世界大戦で飲み込んだものをすべて吐き出すように強制されたといわれています。

逆に呼ばれなかったソ連は自由にアジアを侵略することができたとも言われています。
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これらに日本も反発してもよかったかもしれんのですが、全権として参加した幣原喜重郎、加藤友三郎は受け入れます。
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