大正時代 第一次世界大戦、好況と恐慌。産業革命の行き着く先

米騒動(1918年)後の影響。

人気はなくなって政府への支持が落ちると、内閣総理大臣を決める元老たちは、とたんに政党や国民にコビを売るようになります。

政党内閣を徹底的に忌避した山県有朋元老も万策尽きたってトコでしょうかね。

遂に1918年に立憲政友会党首 原敬が総理大臣になります。

有名なのは「平民宰相」と呼ばれたことやね。

それまでの総理大臣はすべてが華族とか士族で貴族院議員だったわけよ。

でもこの原敬は岩手選出の衆議院議員で、藩閥もなかったわけ。だから平民宰相と呼ばれて国民から大いに支持されたのよね。
しかも軍部大臣と外務大臣以外はほとんど立憲政友会の党員という
「初の本格的な政党内閣」の誕生というわけです。
c0190486_2312165.jpg

原敬が立派なひとかどうかはわかりませんが、原敬の権力は一時頂点になったってこと。
そもそも選挙法を改正して納税資格を下げたんやけど、これによって増えた選挙権保有者は原さんのお蔭で投票できるようになったんやし、みーんな原さんに入れはりますわな。

原敬は第一次世界大戦にともなう好景気で増えた税収によって、教育、交通機関、貿易、国防の充実をはかります。(四大政綱)こりゃ圧勝しないわけはない。

しかし、第一次世界大戦が終わり、いわゆる戦後期に入ると様相がかわってきます。
戦争中は日本国内は大戦景気に沸きました。

しかし第一次世界大戦が終わるとヨーロッパはアジア市場に復帰します。
当時の日本のモノは安くて高品質の「いいモノ」だったから売れていたわけではありません。単に物資が不足していたので買われていただけだったんですよね。

戦後になり国際競争力の強いヨーロッパ商品がアジア市場に入ると日本の製品はたちまち売れなくなる。そしてこの結果、好況から一気に「恐慌」になってしまう。

1920年の戦後恐慌です。

その中で1921年に東京駅で原敬首相が刺殺されるという事件が起こり、原内閣は終わります。
c0190486_2231571.jpg

確かに人口が二倍になると市場も二倍になります。
でもそこでおしまい。アジアに輸出しようとしてもヨーロッパには太刀打ちできない。
これがその頃の日本の産業革命の限界でした。

一方全世界に植民地を持つイギリスは植民地をベースにした産業革命で生まれた大量生産品を売りさばき、原料も調達します。

そうすると、日本も「植民地が必要だ」と思うわけですね。

成熟していない世の中において、産業革命の行きつく先はどうしても「帝国主義」になってしまうんです。(ー_ー)!!
[PR]