大正時代 シベリア出兵、米騒動。

国内の政治に目を戻しましょう。

第一次世界大戦ではよその国が戦っている「漁夫の利」的に色々な権益やお金を手に入れた日本だったんですが、当時の内閣は「寺内正毅」内閣。
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彼は長州閥陸軍閥、しかも政党の意向には頓着しない超然主義、てなことで民党にとっては三拍子そろって都合の悪い政権でした。

それでも彼は戦争にも勝ち、景気もイイってなことで国民の支持を得ることができておりました。ところが、それを変える思わぬ出来事が・・・

それは「米騒動」でした。
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米騒動の発端は「シベリア出兵」によるもの。「シベリア出兵」は「ロシア革命」が発端であります!

じつは「シベリア出兵」なんていう戦争は存在しないんですね。当時の日本人は何をやってるか分からんかって、目的不明に浪費だけを重ね撤退したという悲惨な事件だったんです。

1917年にロシア革命が起ります。005.gif
ほんでロシア革命によってロシアが連合国側から離脱するんですね。このとき連合国は日本にその抵抗としてシベリアへの出兵を要請されるわけです。

日本の戦争指導は迷走を極めたんですが、結局アメリカと仲良くせな!てなことで出兵方針となったのです。

アメリカ、イギリス、フランス、日本の4か国ね。

出兵の名目はチェコスロバキア軍の救援なんですが、実質的にはロシアに対する革命干渉です。


日本でもシベリア出兵が決まると、兵隊に米を持たせるためにお米が大量に必要になりますね。そのあたりを見越して米穀承認が米価のつり上げをはかったんです。
コメはあるのに不足しているふりをして売り惜しみをしたわけ。
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1918年、急速な米価高騰に対して富山県の漁村の主婦たちによる反発運動が表面化しました。これが「米騒動」といわれるやつで「越中女一揆」とも言います。

これがきっかけで全国に広がるわけだ。

これに対し寺内内閣は軍隊を出動させて鎮圧しようとするんですね。
悪いのは米価を釣り上げている承認なのに、それに対する規制や処罰をしないで、デモを直接強硬に鎮圧させるなんていかにも軍人的発想やね。

てなことで、好況と思われ、一時は盤石と思われた寺内正毅内閣は総辞職に追い込まれてしまいます。

次に内閣になるのは・・そう、ご存知平民宰相やね。
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