明治時代⑤-1 日露戦争①

明治時代⑤-1 日露戦争①

いよいよ日露戦争に入って行きたいと思います。

さて日清戦争の講和条約として結ばれたのが「下関条約」でしたよね。
伊藤博文内閣総理大臣、陸奥宗光外務大臣と清の李鴻章のあいだで結ばれた条約で、以下のような内容でした。
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ところがこの中の「遼東半島の権利」についていち早く異を唱えたのはロシア。
当時、南下政策を進めていたロシアにとって遼東半島は自分たちが領有を計画していた場所だったんです。

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そこでロシアはドイツとフランスを抱き込んで、日本に圧力をかけてきました。
これが「三国干渉」ですね。

三国干渉にはイギリスは入ってないんやけど、日清戦争に先立ってイギリスはなぜ日本を支援する側に立ってたのか。それはロシアの南進をイギリスは阻止したかったんですよね。
だってイギリスの植民地がおびやかされる脅威があるから。

ロシアはなんで南下政策をとっていたのか。それはロシアってめちゃくちゃ寒いやんね。
だから海まで凍ってしまうわけで「不凍港」(一年中凍らない港)がほしかったんです。当時飛行機がなかったので。船が最強の輸送手段だったので国力的に後れをとっていた。この劣勢を盛り返すためにロシアはなんとしても「不凍港」がほしかったんですよね。

「三国干渉」の具体的な内容は「3000万両と引き換えに遼東半島は清に返還しろ」というもの。日本もさすがに列強三国に迫られれば、要求をのまざるをえず、遼東半島を清に返還します。この悔しさを「臥薪嘗胆」という言葉で表現されたのは有名やんね。

結局遼東半島は返還させられた上、その遼東半島はロシアが租借、つまり実質的に「期限付き占領」を行うわけです。グググググくやしーーー

とは言いながらも、日本は賠償金はもらってるわけです。その賠償金により日本資本主義の象徴である八幡製鉄所もこの資金で設立しました。

一方朝鮮半島の情勢です。


清から一見「独立」したように見えたんですが、実質は「親分」を「清」から「ロシア」に乗り換えたような格好です。ロシアはいよいよ南下政策を本格化させます!

そんな情勢の中「閔妃暗殺事件」が1895年に起ります。
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朝鮮王妃 閔妃が親露的になってきた、ということに対し、駐韓 公使であった三浦梧楼(みうらごろう)が指示して暗殺した、というもの。

しかし、この暗殺事件をきっかけに朝鮮は余計にロシアへの接近を強め、「大韓帝国」(韓国)を宣言。李王朝には変わらないんだけど、清からの独立、そしてロシアを親分にする、という意志表示を明らかにしたものでした。

一方清は日清戦争の敗北により列強の草刈り場と化し、特に満州進出をうかがうロシアは清に急接近。1896年に「露清密約」を結んでいます。
これはロシアに満州の権益を与える代わりに、日本が侵略してきたときは盾になってね、というもの。

その一環としてロシアに旅順、大連を租借させます。

このように中国の国土が次々と租借されていく現状に「扶清滅洋」、すなわり西洋の排撃と清国の独立を掲げる暴動が頻発。

特に「義和団」という宗教をバックにした「義和団の乱」が最も激しく起ります。
彼らは「義和団」という拳法を身につければ弾丸にあたっても死ななくなる、という信仰を抱いていたので捨て身で激しい暴動を起こすわけですね。
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その義和団の乱に押されるようにいて起るのが「北清事変」です。本来、暴動を鎮圧すべき清政府なのに、これらに同調して諸外国に対して宣戦布告をしちゃうわけです。

義和団は民衆の反乱ですが、それに押された「清政府」VS「連合国軍」(日英米仏露独墺伊)

連合国は8か国あるわけですが、もっとも活躍したのは地理的に一番近い日本。ついでロシア

事変終結後に「北京議定書」が結ばれ、日本は治安維持のため「駐屯軍」を配置することになります。

でも、ここでも日本のロシアへの不満の種が。

満州駐兵権(満州に兵隊を置く権利)がロシアのものになっちゃったんですね。
もっとも活躍したのは日本なのに!という不満。

そしてこの事態をイギリスも警戒することとなり、これが日英同盟が結ばれる素地となっていくわけです。
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