明治時代④ 日清戦争ってどんな戦争、何をもたらしたの?

さあて、ようやく日清戦争の説明です。

日清戦争の説明に入る前に時代は戻りますが、西郷隆盛らによる征韓論のあと、
1875年(明治8)に「江華島事件」が発生します。
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今の韓国の仁川(インニョン)の近くに江華島という島があります。
ここに日本軍艦の「雲楊(うんよう)」が威嚇行為をしたのが始まり。
その挑発に対して朝鮮側が発砲してきたので、それを口実に無理やり開国させたのが
「日朝修好条規」。そう、開国ってのは朝鮮もきほんは鎖国路線をとってたんやんね。

(※ちなみに朝鮮通信使は例外的な行事です)

あとは無関税特権。よく「日米通商修好条約は関税自主権がないから不平等条約だ」とか小学校で習うんですが、自主権どころか「無関税」、日本からの輸出品にはいっさい関税をかけない、とか日本が領事裁判権を持たないとか、日本側に都合がいいことばかりにの不平等条約だったのです。

日本も不平等条約を結ばされて怒ってたのに、朝鮮に対して同じことをやっておったわけですな。

当時の朝鮮は李氏朝鮮といいますが、清の属国のような状態でした
清が宗主国、つまり親分やったわけです。

そんな中、李氏朝鮮内部ではこんな考え方も生まれてきます。

「最近、日本が伸びてきてるみたいや。ほんで、清は欧米によって上海や広東に租借地とか設定されてるけど、日本はないらしいし、清より日本について行った方がええんちゃうか」・・・と。

そして朝鮮内部に親日派の「閔妃」、親清派の「大院君」の対立関係がうまれてきます。
「大院君」は国王、「高宗」の「父親」、「閔妃」は国王の「妃」です。

1882年、大院君(親清派)の一派が反乱をお越し、閔妃(親日派)側の政治家や政治顧問をしていた人を襲撃、日本公使館を焼き討ちしたりします。
これを「壬午事変」と言います。

焼き討ち自体は大したことがなかったんだけど、日本は高圧的態度に出て事後処理のため「済物浦(さいもっぽ)条約」を締結させ、高額の見舞金や損害賠償を要求します。

その結果、閔妃は親日派をやめてしまいました・・・。

そのあと、1884年に清仏戦争が起る。
まずフランスがベトナムに侵攻したとき、ベトナムは宗主国の親分である清に助けを求めるわけです。それがため清とフランスが戦争になるんだけれども、結果、清は敗北。

ベトナムはフランスの保護国になってしまいます。

このことが朝鮮国内に衝撃を与えるんですよね。

「自分たちと同じ立場のベトナムが清をしたっていたばかりに侵攻されてしまった。こんな親分の清についていっていいものか。やっぱ日本について行った方がいいんじゃないの」

こんな考えを持つ人が出てきます。それは「独立党」と呼ばれる人で「金玉均(きんぎょくきん)」を中心にクーデターを起こしました。これを「甲甲事変(こうしんじへん)」といいます。
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このとき、独立党は日本公使館の支援を受けるんですが、先の「親日派をやめた」「閔妃」は清に助けを求めます。

ここで日本と清の軍隊が朝鮮半島で対峙する格好になっちゃったんですよね。

でも清も日本もお互い戦争は避けたかった。
だって、清は清仏戦争のさなか、日本なんかと戦っていく余力はないし、日本も内閣制度がやっとできる頃で、外国と戦争なんかやってる場合じゃありません。

だから「天津条約」を結んで和解をすることになりました。

・・・・・・・・・・・ところがところが。
日本国内で日本の清や朝鮮に対する対応に批判が出てくるわけなんですね。

有名なのが福沢諭吉の「脱亜論」

私の高校の先生も福沢諭吉は立派な人物だけれど、この脱亜論はちょっとなあ、と言っていたのが思い起こされます。

脱亜論と言うのは日本がアジアから脱して西欧列強の仲間入りをするべき、清に妥協なんかすんな、日本は西欧並みに強いんだぞー(脱亜入欧)というもんでした。

その後、朝鮮では日本に対する反発が強まって、日本に対する米や大豆のなどの穀類の輸出を禁止するんですね。(防穀令)

それに対して日本は激怒。防穀令を廃止して損害賠償までもぎ取ります。

1894年、そうした状況下で勃発したのが「東学党の乱」です。
農民たちが減税と排日を旗印にした乱なんですが。朝鮮独自の宗教の「東学」の信奉者が関与していたのでこの乱の名が付きました。

この「東学党の乱」を鎮圧するため朝鮮政府は清に助けを求め、これに応じて清は兵を送り込むんですね。それに対抗するかたちで日本も朝鮮に兵を出して、農民の反乱は鎮圧されます。

・・が日清両軍はその後も朝鮮に駐留し続けて、さらに朝鮮内政への介入をめぐって対立を激化させてゆきます。つまるところ、「日清戦争」は朝鮮半島での主導権をめぐって衝突した戦争なんやね。

同年、「日英通商航海条約」を締結。列強の一角を味方につけたところで、日本は清に宣戦布告し
日清戦争がはじまるわけです。
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日清戦争は1894年8月から翌3月まで繰り広げられましたが、近代化が遅れた清軍に対し、海軍で勝利した日本側が最終的に優勢のうちに終結。

そして講和条約として結ばれたのが「下関条約」ですね。
思い出したかな。

で、国際的に見た視点。
日清戦争をきっかけに列強の侵略の手が一斉に「清」に向かうのです。

だってそれまで「眠れる獅子」、つまり広大な土地と中華思想のもと2,000年にわたってアジアの国を無条件にしたがえてきた大国が、日本みたいな小国(と思われていた)に負けちゃうんですよ。

この1890年代から列強の本格的な「中国分割」がはじまってゆくのです。

ちなみに「台湾」はこの下関条約の結果、日本の植民地になります。
台湾の日本統治時代というのは台湾が清朝(当時の中国)から日本に割譲された1895年(明治28年)4月17日から、第二次世界大戦の結果ポツダム宣言によって台湾が日本から中華民国に編入された1945年(昭和20年)10月25日までの間です。半世紀ものあいだ、植民地であったということやね。

・・・いったん日清戦争のはなし、おわり。011.gif
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