■平安時代④ 藤原良房の隆盛と応天門の変

さて、藤原家の隆盛の基礎を作った人は・・

藤原良房の登場です!
嵯峨天皇の時代、薬子の変が起った・・その次の天皇は淳和天皇です!
(ちなみに、藤原薬子は藤原式家)

そして、その子が藤原良房。
この秘書親子、けっこうな発言力を持つんだよなーー。

ところが、政敵がいるわけです。淳和天皇のバックには昔からの貴族である「伴氏」と「橘氏」がひかえてるんですよね。橘氏は有名な三筆のひとり橘逸勢の系統です。
薬子の変の教訓から天皇じきじきの秘書のような役職「蔵人頭」(くろうどうのとう)という役職が設けられましたが、その初代が藤原北家の藤原冬嗣。その息子が藤原良房

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良房の野望、第一弾。
「承和の変」842はよ逃げて伴ちゃん橘ちゃん
「伴健岑(とものこわみね)と橘逸勢は仁明天皇を下そうとしてますぜ」という噂を意図的に流す。これは陰謀でした。

さらに良房の野望は、自分の娘の子供、つまり孫を天皇に即位させる。この子が清和天皇なるのですが、そのときまだ9歳。
こどもは天皇になれない、という慣例を無視して強引に即位させてしまうんですね。

当然、今でいう小学校2,3年生に政務はとれないため、「摂政」を行うわけです。
しかし、これに対してはやはり、反対勢力がでてくる。
「摂政」とはもともと皇族しかできなかったのですから。
その反対勢力が源信(みなもとのまこと)と伴善男(とものよしお)です。

でも、じつは敵同士も実は仲が悪くて、敵同士が潰しあってくれたため、
敵がいなくなった。

良房にしたら、ラッキ――!
といっても「応天門の変」という大変な放火事件が原因でした。(866年 やろうむかつく応天門 )

伴善男が自ら応天門に火を放ち、その罪を源信に負わせようとした。
でも、犯人が伴善男だってことを藤原良房はわかっていたんですよね。そして源信は良房から恩を着せられる格好になります。

こうして、応天門の変の後、良房は正式に摂政に就任し、名実ともに政治的実権を掌握していくのです。

この応天門の変の様子は「伴大納言絵巻」にリアルに描写されています。

ところで。この応天門って、どこにあったのか。
色々調べると、(前の)出世稲荷神社のあたりにあったようですね。(現在の出世稲荷神社は大原に移転)

ちなみに平安神宮の応天門は平安京の応天門の縮小レプリカだとか。
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