平安時代② 「薬子の変」
桓武天皇の次は平城天皇ですね。平城・・?平城京の平城・・?この秘密はあとにして。
平城天皇は病気を理由にわずか3年で退位、809年には弟の嵯峨天皇が即位。
桓武、平城、嵯峨、と続くわけですね。
「薬子の変」をきっかけに、藤原四家のうち藤原式家が没落し、代わりに北家が台頭。
「薬子の変」は小中の教科書には載っていませんが、高校の教科書には必ず載っていますね。
薬子は「パパがせっかく頑張って造営した長岡京をあっさりと捨てるだなんて!!」(`・ω・´)
もしかしたらこの後に起こる話の根本的な原因はこの辺にあったのかも知れません。
この平城天皇は皇太子のときから、長岡京遷都を主導したものの暗殺された「藤原種継」の娘薬子を寵愛していました。ところがこの藤原薬子、不行跡というか、身持ちが悪いいうか、とにかく醜聞がありまして、桓武天皇によって宮廷から追放されてしまいました。
醜聞とは・・・
桓武天皇の長男で皇太子であった安殿親王(あてしんのう)<のちの平城天皇>は藤原薬子の長女を妃として迎え入れます。
しかし長女はまだ幼い年齢だったので後見役として母親である藤原薬子も一緒に入内(天皇のお屋敷内に住むこと)します。
・・・が、ここでとんでもないことが起こります。
なんと安殿親王が妃である長女をそっちのけにして長女の母親で後見役として入内しただけの藤原薬子と愛し合うようになってしまたのです。( ̄□ ̄;)
何しとんねん…って感じですね。(⌒_⌒;)
平城天皇がたったの3年でやめてしまったものだから、薬子にしてみればとうてい承服できない。( *`ω´)
そこでなんとかして平城上皇を再び天皇にしようとします。そのためには周りの協力を得なくてはいけない。
でも、なぜ?と聞かれた時に「だって、私や兄の藤原仲成も平常天皇に取り入ってもらって出世したいんだもん(´ε` )」なんて言っても誰もついていきませんよね。
そこで「上皇を天皇に立てて、もう一度都を平城京に戻しましょう」と言い始めたのです。そうすれば。平城京に都を戻したいと思っていた人達が自分に味方してくれると思ったわけです。
ところが、810年といえば、平城京から長岡京に都が移ったのが784年ですから、すでに26年も経っているんですよ。それもまるで支持が得られません。(´・_・`)
それでも強引に奈良に宮殿を建造し始めたため、謀反として認定されてしまいます。
その結果、兄の藤原仲成は殺され、薬子も自害を余儀なくされました。これが薬子の変です。
平城上皇は剃髪して出家。その後も奈良に住み続けたので「平城」と呼ばれたのでしょう。
ちなみに、「平城」天武とか聖武とか天皇の名称は死後に送られた諡号(しごう:高貴な人や高徳の人の死後におくる美称)です。