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戦国時代のはじまり(歴史勉強メモ)

いよいよ戦国時代のはじまりです。
各地に出現した戦国大名が分国を支配しつつ、周辺諸国との武力抗争を繰り広げます。

東北で有名なのは、伊達正宗です。伊達氏は国人出身で、守護大名からでなく、地元に土着していた武士が戦国大名になったものです。

小田原では北条氏が力を増大させていました。鎌倉時代の北条氏とは別で、北条早雲とその一族が急速に力をつけていました。

越後(新潟県)で上杉の守護代(関東管領の仕事を鎌倉でやっている間に地元の家臣を束ねる人)をやっていたのが、長尾景虎。彼は上杉憲正の養子になって家督を継承し、上杉を名乗って上杉謙信となっていきます。

上杉謙信と対立状態にあったのが、甲斐・信濃(山梨県・長野県)の武田信玄です。
信玄は守護出身で、謙信とは川中島の戦いで争うことになります。(長野県南郊)

武田信玄といえば「風林火山」の軍旗で有名ですよね。
ですが、これは通称であり、現代の創作だとされています。
正しくは「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」
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「風林火山」はgoo辞書によると意味は、
「風のように素早く動いたり、林のように静かに構えたり、火のような激しい勢いで侵略したり、山のようにどっしりと構えて動かない意。」とのこと。

遠江(とうとうみ)・駿河(静岡県)を支配した今川氏も守護出身です。
尾張(愛知県)にはお出汁もいます。

越前(福井県)では朝倉氏が有力です。朝倉氏は一乗谷を拠点にしましたが、早くから家臣に城下町に住むことを強要したことで有名です。
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●相次ぐ下剋上
中部地方では周防(山口県)の大内氏が守護から戦国大名となり、日明貿易で権力を維持しますが、やはり貿易で栄えた細川氏と対立するようになります。

そして、1523年に起った「寧波の乱」(ニンポーの乱)で勝利した大内氏が日明貿易を独占するようになります。

ところがこの大内氏も1551年に陶晴賢(すえはるたか)という家老に倒されてしまいます。
このように、下の身分の者が上の者を倒して実力でのし上がるのを「下剋上」といいますね。

その陶晴賢もほどなく安芸(広島県)の毛利氏に滅ぼされてしまいます。

四国の長宗我部氏は土佐(高知県)の国人の出身です。
九州で勢力を張っていたのは、
豊後(大分県)の大友氏、薩摩(鹿児島県)の島津氏でともに守護出身です。

美濃、尾張、越前、近江、山城あたりは京都に近いためかなり身分の高い人が守護に任ぜられます。こういうところでは下剋上が頻発しています。

たとえば、尾張の守護の斯波氏は室町幕府の三管領のひとつでしたよね。
つまり、将軍をサポートする家柄でした。その斯波氏も守護代だった織田氏と朝倉氏に下剋上されてしまいます。

近江の浅井氏も侍所のトップだった京極氏を下剋上します。

山城では細川晴元を家来の三好長慶(ながよし)が倒し、その三好を家来の松永久秀が下剋上するというありさまです。

戦国時代というのは意外にも時間的に短く100年もありませんが、地域的に見ていくと、その土地土地によって特色があることが分かります。