室町時代 ~足利義満の時代~(歴史勉強メモ)

室町時代がもっとも華やかだったのは、足利義満の時代ですね。012.gif012.gif012.gif
この時代の文化を北山文化といいます。056.gif

北山文化を象徴する建築物は、そう、金閣寺(鹿苑寺金閣)ですね。
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北山文化の絵画の分野では、水墨画が流行します。もともと水墨画は禅宗の僧侶が禅の精神を表現したもので、明兆、如雪、周分らが名画を残しています。
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義満の保護のもと、観阿弥・世阿弥親子が猿楽能を完成させます。

この時代、幕府は臨済宗を保護し、臨済宗の寺院を格付けするため、先の京都五山の制を設けました。最上位の五山を中心に様々な五山文学といいます。
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さて、その足利義満は何を行ったか。大きく3つ
南北朝合体、明との国交樹立と日明貿易(勘合貿易)、そして守護大名の勢力削減です。049.gif

まず、1つめの南北朝合体ですが、当時南朝は吉野、北朝は京都にありましたが、両者は別に戦闘状態というわけではありませんでした。009.gif

天皇の象徴である三種の神器は南朝のほうにありましたが、南朝の後亀山天皇が、北朝の後小松天皇に譲位するというかたちで二人の顔を立てながら1392年に南北朝合体を果たしました。
この南北朝合体のあと、1394年に義満は将軍を辞し、公家の最高の位である「太政大臣」に任ぜられます。
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2つめの日明貿易ですが、明との国交樹立(1401年)時、その翌年1402年に「日本国王源道義」、つまり、中国の王様に「あなたが唯一の日本の国王である」と認めさせています。005.gif

なお、室町幕府は将軍職につぐ最高の役職に「管領」があり、
足利氏一門の斯波氏・細川氏・畠山氏の3家が交代で就任し、「三管領」「三職」と称されていました。

幼少期の義満は管領・細川頼之に補佐されて将軍となるための帝王学を授与されていました。
細川氏は、日明貿易により支配力を強め、のちのち有力な守護大名になっていきます。

3つめの守護勢力の削減です。
室町幕府の財政は貧弱でしたから、守護大名の中には将軍家よりもお金持ちがいたくらいです。その勢力を削減しようというわけです。006.gif

まず対象になったのが、美濃、尾張、伊勢を支配していた守護大名の土岐康行でした。
1390年に土岐氏内部の対立に乗じて滅ぼしてしまいます。(土岐康行の乱

次のターゲットは山名氏清です。(明徳の乱)山名氏清は11カ国の守護大名で、全国の6ぶんの1を支配していたということで六分の一衆と呼ばれたくらいです。これも山名氏の内紛を利用し、討ち果たします。

さらに周防、長門、石見など六カ国の守護だった大内康弘が幕府に反乱を起こします。
1399年、幕府軍がこれを倒して大内氏の大幅な勢力を削減します。(応永の乱

将軍職を4代義持にゆずってからも、義満はこうして守護大名をコントロールできる確立を積極的に推進したわけです。
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