「美しい国」か「強い国」か ―西村氏暴言の奥にあるもの―
華々しい経歴の持ち主が、品性を欠くような発言をしたことには怒りをとおりこして驚くが、もっと驚いたのは、ネット上で「擁護」している人がかなり多い事実だった。
「西村氏は愛国主義者」
「西村氏を非難する者や人権派こそが『売国奴』」と言った書き込みが多く見られた。
俗にいうネト〇ヨが書いているのであろうが、どうも気持ちが悪いというか、「まともでない」感じがして仕方がない。
彼らに問うてみたい。愛国だ、靖国参拝奨励、売国者排除!という人たちは、本当に国を愛しているのか。
靖国以前に、ご自身のご先祖様に朝夕欠かさずお仏壇に手を合わせているか。ご自身の氏神様はどこか知っているのか。まさか、していない、知らない、というならどの口が「愛国」と言っているんだと疑いたくなる。
どうも、愛国、というものが、自国を愛するというより、他国を打ち負かす、ということに変わってきているような気がする。
五木寛之氏も著書で
日本の目指すべきところが「美しい国」から「強い国」に変わってきているような感じがする、と言っている。
面白いことに中島義道氏も次のように書いている。
ついでに「暴言」を吐いておくと、私は国家にはほとんど期待していない。
できれば強国=大国を目指すことだけはやめて欲しい。
私は日本国憲法前文の「国際社会において名誉ある地位を占めたいと思ふ」という宣言にすら反発を感じてしまう。「名誉ある地位」とは何であろうか。いまだかつて国家が道徳的であったタメシはないし、強力な国家はすべて残酷な支配者であった。
いま、アメリカは国際社会において、名誉ある地位を占めているのだろうか。
どう考えても、不名誉な地位に近いのではないかと思ってしまう。
かつての「〇〇帝国」も、他国に侵入し、他民族を支配し、おごり高ぶり、しかも自分たちを「名誉ある民族」と自画自賛しているだけである。ローマ帝国は名誉ある地位を占めていたのだろうか。
たしかに「偉大な」国家はあったかもしれないが、その数々の残忍な支配を加味すると「名誉ある国家」というものがいまだかつてあったとは到底思えない。
これらを見ていると、他国に対して「モノ言う国家」が強い国であり、イコール愛国である、というモノの見方はあまりに短絡すぎであると考える。
確かに「モノ言わなすぎ」という側面はあったかもしれないが、「暴言」を言っていいという道理にはならない。
「今まで言わなかったことを言うのが素晴らしい」という人もいるが、今まで言わなかったのは、言っても意味がない、もしくは言うとかえって「美しい国」から遠ざかり、民度を下げるから言わなかっただけなのではないか。
まさに天に唾する行為であり、本人にとっても得にならないばかりか、日本人全体の品性を下げるような発言はやめてもらいたいものである。