西原理恵子の半生が壮絶すぎる( ゚Д゚)

朝日新聞の連載コラム。
漫画家西原理恵子先生の半生です。
あまりにも衝撃的だったので、一部引用し紹介しておきます。005.gif


「えげつないほうが勝つ」
64年高知で生まれた西原は実の父親の顔を知らない。

母はアル中だった実父と西原を産む前に離婚。祖父のいる小さな港町に出戻りする形で3歳まで暮らした。

「小さくてきれいな漁港で港中の人にかわいがられた」
4歳で母が再婚し、海から遠い団地に引っ越すことになった。

ギャンブル好きな義父は仕事での浮き沈みが激しく、家庭では母親との喧嘩や罵声が絶えなかった。もっともさいばらの記憶では周囲の家庭はどこも荒れていて、大差はなかった。

義父は西原を可愛がり、ことあるごとに称賛した。
「この子はすごく頭がいいよ。将来が楽しみだ。普通の子と違う人生を送ればいい」が口癖だった。

82年、西原が私立女子高3年のときに大きな事件が起こった。
スナックで飲酒した西原ら女子生徒に対し、学校側が退学処分を決定した。これに対し、西原らは「一方的な処分は不服」として学校側を提訴した。

西原には、義父の心強い支援があった。羽振りがいい時期に、タクシー会社を経営していた義父は、従業員の地位保全裁判の経験があった。大人で唯一、西原の言い分を信じる義父は、「カネをやるから戦ってみろ」と弁護士を紹介するのである。

そのうち西原らは大検に受かり、裁判で復学を求める理由もなくなった。最後は和解となったが、その過程で学校側が、裁判を有利にするため、身に覚えのない非行を書類に並べて彼女たちをおとしめていた、と今でも西原は憤る。

「正しいほうが勝つわけじゃない。けんかはえげつなくないと勝てない」
「若いときに、大人と素手でけんかさせてもらったのはすごくいい経験だった。」

頼りになった義父は、西原が大学入試で状況中、借金苦で首つり自殺した。驚いて高知に戻ると、顔を殴られて腫らす母の姿があった。
「父親が最後は私の大学受験費用まで出せと母親を殴ってボコボコにした。家族の実情を自分は見て見ぬふりをしていたのか、と恥ずかしかった」
追い打ちをかけたのは、何かと理由をつけてはカネめのものを持って帰る弔問客の醜い姿だった。

「ここではないどこかへ行かないと」と危機感を募らせ上京。
歌舞伎町のミニスカパブで時給1,400円で働いていた日々の帰り道・・。

「田舎もひどいと思っていたけど、歌舞伎町はそんなもんじゃあなかった。道端ばたにシャブ中(覚醒剤中毒者)は落ちてるし、ホストクラブのホストはゴミ箱に捨てられているし。70過ぎの売春しているおばあちゃんがいて大変だと思っていたら、女装のおじいちゃんだったり

いつか都会でそんな存在に堕ちるのでは、と恐怖を感じながら家に帰ると、そこには働かずブラブラする男が待つ。

「零点だった私が恋をしたのは零点の男。寂しがり屋で絶対独りではいられない。自分の病気だと思っています」

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