「『不機嫌』と『甘え』の心理」加藤諦三(PHP文庫)

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ロングセラーの本、らしい。タイトルに惹かれて買った。2004年5月初版
2009年8月12刷・・・重版でも2年半前だ・・

私(たち)は他人の不機嫌におびえることが多いし、自分の機嫌をコントロールできなくて「こころの袋小路」に陥ることがある。不機嫌は伝染する。私なんぞは、他人の不機嫌を過度に恐れる「不機嫌恐怖症」といえるかもしれない。
先日の中島義道の「人を嫌うこと」に続き、ネガティブな感情について考えてみたいと思った。

この本のamazonでの評価は二分されていて、「欝の人間が欝な気持ちを余計増幅される!」という評価もある。
なぜなら、本書では「自己実現型の人間」と「神経症型の人間」と本書で分けていて、「神経症」と自分を評されている感じがした人は当然面白くない。

でも、私が思うに、自己実現型と神経症型と人間がまっぷたつに二分されるのではなく、誰しもがどちらの要素ももっていると思う。かくいう私は神経症型の傾向が大きい人間だ。

・・と言ってもどんな本か全然分からないし、紹介になってないから、いつもどおり自分的PICK UPをしてみよう。

(P.18)
「好き」と「執着」はまったく違う
恋人に優しさを求めることは恋人が好きだということとは別である、ということである。
孤独な人は誰かれ構わず優しさを求める。

(P.32)
「花を愛している人はまず花を観察する」
愛情については、植物との関係で言うとわかりやすいかもしれない。花を咲かそうと水をやたらやる人は花を愛しているわけではない。花を愛している人は、まず花を観察する。花が何を求めているかを観察する。観察しながら水をやる、陽のあたる場所に花を移す。愛情とはそうした花と人との関係である。

(P.36)
神経症者は外面(そとづら)はいいし、第一印象がいい。そこで最初はひとに好かれる。しかし、付き合いだすと面白くない。そして捨てられそうになる。すると相手に執着する。
日ごろから目的意識を持って生きている人は、男であれ、女であれ、人を恨むことは少ない。自分の意思で動いているからである。

(P.42)
もともと愛情とは相手の求めているものを理解できる能力である。

(P.48)
「イライラは甘えの裏返しにすぎない」
人はあまり近くない人に対しては、不機嫌の感情を持つことはない。不機嫌になるのは相手と深く関わっているときである。不愉快だからといって相手から離れられないときである。

(P.66)
怒り「amger」と不安「anxiety」は同じ語源である。

(P.113)
人の本質は、遠い人ではなく、近い人に現れる。

(P.142)
神経症の人は、四六時中「君はすごい!」と言ってもらっていないと気がすまない。






寂しさゆえにもつ、「愛する人物に向けられた敵意」「反対感情並存」
心理的に未成熟な人は、「愛情飢餓感」が強いゆえ、不機嫌になる。
身近な人に対する感情で自分のこころを知ること、そして、「しがみつかない」こと。
愛着と執着は違う。
親や身近な人に甘え、執着するから、満たされない思いが募り、不機嫌になる。
不機嫌は伝染し、自分のみならず、自分の大切な人まで不幸にしてしまう。

こんなことを言うと夢もなくなってしまうのだが、
「ノルウェーの森」の直子もある意味ここで言う「神経症」の子だったんだろう。それも極度で自分自身にさえおびえていたのだと思う。

「直子は僕のことを愛してさえいなかったから」
「彼女の求めているのは僕の腕ではなく誰かの腕なのだ。彼女の求めているのは僕の温もりではなく誰かの温もりなのだ。 」


でもボク(=ワタナベ)は決して不幸ではなかった。なぜなら、ボクが最後まで直子を「愛した」からだ。
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by hito2653 | 2011-05-13 23:07 | 読書