「お金」は「想い」の集合体

先日、所さんの番組で、
「悪銭身につかず」が本当なのか確かめる実験があった。

すごく面白かったので記録。012.gif

まず、被験者2グループに「バイト」と称して公園を3時間掃除してもらう。
1グループ目は「アルバイト代」として日給5,000円を渡す。
もうひとつのグループは「アルバイト代」としてまずは2,500円渡す。
そしてその後に、「雨の中がんばってくれたからボーナスです」と言ってもう2,500円渡す。
どちらも、総額は5,000円、ということになる。

その後、近くの商店街内でばらばらに自由にランチをとってもらうことにする。
そして、何も知らない被験者に、「ランチでいくら使ったか」と聞いてみると、、、、、
驚いたことに、というか予想通り、
最初から5,000円渡しているチームの人たちはほとんどみんな1,000円以下で昼食を済ませていた。
一方、後から2,500円渡して総額5,000円渡されたチームの人たちは、多くの人が普段よりかなり奮発して1,500円とか2,000円のランチを取っていたのだ。

つまるところ、、、
2,500円の上澄み部分、つまり「あぶく銭」部分は、みんな短絡的に使ってしまう傾向にあるというのだ・・。
その後心理学者の解説があり、
「苦労して稼いだお金は『愛着』があって使わないようにする傾向があるが、そうでないお金はすぐに使ってしまう傾向がある」とのことだった。

当たり前のような価値観を実験であらためて知らされて、「なるほどなぁ」と思った。

さて、「お金は想いの集合体」というのは最近私の中ですきな言葉だ。

同じ1万円でも、学生時代に手荒れに苦しみながら時給700円のバイトで深夜の喫茶店で必死に働いた1万円も1万円。

一方、(私はやらないけど)パチンコでほんの2、30分で稼いだ1万円も同じ1万円だ。

また、自分ではない誰かのために、子供のため、孫のため、必死に節約した1万円だってやっぱり1万円。

「あぶく銭」だって「額に汗したお金」だって同じお金はお金なんだけど、いろいろな人の「想いの集合体」であることには変わらない。

そんなお金、稼ぎ方もそうであれば、使い方だって「生きた金」の使い方と「死に金」の使い方があると思うのだ。

「どんなカタチであっても金を使うことで、誰かに金が入り、経済が発展するからいいじゃないか」という人もいる。

でも、金融の世界では「想いの集合体」がほんの一部の人間が一瞬喜ぶだけの「死に金」に一瞬にして変わってしまう場合がある。

私も「生きた金」の使い方がしたいし、生きた金を作るような仕事をしたいと思う。
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